加西市の北部は西脇市、多可町に接しており、その境を400〜450mの山稜が続いている。その山稜には小さなピークが幾つもあり、いにしえは修験道で結ばれていたとか。その山稜で一番目立っているのが鎌倉山で、南麓の鎌倉谷から見上げる姿は堂々としている。その鎌倉山に初めて登ったのは1999年4月のことで、麓の加西市河内町では春祭りが行われていた。その河内町の鎌倉谷を奥まで進むと、濃い緑色を湛えた落ち着いた湖面の池に達するが、その池そばに駐車して歩き始めた。池まで続いていた道は、池そばを通って更に奥に延びており、道なりに進んで行く。やがて植林帯を通る山道へと変わった。道はつづら折れになっており、急な所は無いので登り易かった。程なく山稜に達する。山稜にも山道が付いており、その道も荒れておらず、下草も少なく歩き易かった。そして確実に鎌倉山に続いていることが伺えた。稜線は一部に植林帯が有ったものの、照葉樹の多い雑木林が主だった。稜線道は歩き易いものの、展望に関しては良くなかった。展望の得られたのは、送電塔の建つ場所と、山頂への急登が始まる手前の二ヶ所で、それも北部のみの展望だった。そこからは正面に笠形山、そして飯森山から千ヶ峰へと続く山並みを雄大に眺められた。植林帯の急坂を登りきると、そこは山頂手前のピークで、石仏が置かれていた。そこを過ぎるとすぐに鎌倉山山頂に着いた。山頂にも「発起大菩薩」と書かれた石仏が鎮座していた。ただどちらのピークも雑木に囲まれて展望は悪かった。山頂からは何とか東の尾根が枝越しに見える程度だった。良かったのは山頂の三角点周囲が草地となっており、休むのには程よい所だったことか。暖かい陽射しの下で、のんびりとくつろぐことが出来た。なお山頂で展望が得られなかったため、昼食を済ませると、急坂の起点まで下って、改めて北の展望を楽しんだ。下山は、南東に向かう登山道を下ることにした。これは鎌倉山の表コースと言える登山道で、十分な道幅で麓まで続いていた。途中には岩場の展望地もあって、南に広く展望を得た。また中腹にはお堂も有り、宗教的な雰囲気が感じられた。そこから先は、道は登山道と言うよりも参道と言うのが相応しいような雰囲気だった。ところでこの日はパートナーの登山靴の履き初めだったが、麓の養鶏場を通ったとき、靴底を鶏糞ですっかり汚してしまった。
(2002/6記)(2006/2改訂)(2021/7写真改訂) |