宍粟市の最奥の山、三久安山を一宮町側から登りたくなった。新しい地図を見ると林道が稜線近くまで続いているのが分かったが、せっかくの千メートル峰を簡単に登りたくなく、思いっきり尾根歩きを楽しんで登ることにした。選んだルートは三久安山から南東に延びる尾根を尾根端にある溝谷集落の近くから歩き始めるルートだった。
一宮町の公文川沿いの道を最奥へと進み、溝谷集落に入った。その溝谷集落の奥詰めに駐車する。集落を貫く道はそのまま林道となって三久安山へ向かっており中腹800m辺りまで続くが、この日は尾根歩きが主目的なので、まず尾根に出ることを考えた。林道を100m程歩歩いて行くと、右手の山肌が少し急斜面ながらも灌木帯になっており、登り易そうに見えた。そこで適当に取り付いて登って行くことにした。すぐに防鹿ネットが現れたが、それをくぐって尾根を目指す。山肌は程なく伐採の跡地なのか、ススキが一面に生えた遠目には優しげな風景に変わった。これが難所だった。ススキは密集しており、そこにイバラが混じっていた。イバラを避けながらススキをかき分け、また掴まりながら急斜面を登って行った。そのときに限って陽射しがあり、大いに汗をかかされた。150m程登ったろうか、ススキの原を抜けて植林地に入ったときは、全精力の3分の2を使ったのではと思えるほど疲れてしまった。その位置から目的の尾根(林道と平行して山頂へと向かう尾根)までは僅かな距離だった。尾根に着くとそこは743mピークの近くで、後はその緩やかな尾根を真っ直ぐ山頂に向かって行くだけだった。尾根は植林地であったり雑木林に変わったりとしたが、尾根道と言えるほどのものは見えなかった。それでも下草は少なく、けっこう歩き易い尾根だった。11月の半ばとなっており、もう紅葉は終わりかけていたが、色付いたモミジが多く見られ、その艶やさが見事だった。残念なのは尾根に着いた頃より陽射しが消えたことで、紅葉を鮮やかに見ることが出来なかった。尾根には落ち葉が散り敷いており、その踏み心地を楽しみながら登って行った。この尾根は歩き始めたときより展望は良いとは言えず、時おり南向かいの尾根が見える程度だったが、やや急斜面となった所を登り切ると一気に展望が広がった。地図で確認すると951mピーク手前だった。南斜面が伐採されており、一山から三久安山へと続く尾根がすっきりと見えていた。他の方向は雑木があって少し見え難くなっていたが、それでも北に藤無山、西には生野高原も見えていた。その展望も黒く薄ぼんやりとした空と同様に薄モヤがかっており、くっきりとした見え方とは遠かった。そこからは少し下って植林地を抜け、そして主稜線(町境尾根)へ向かっての登りとなった。
周囲は自然林となり、足下にクマザサが徐々に増えて来た。しかしクマザサは枯れかかっているようで弱々しさがあり、煩わしいと言うほどでも無く登って行けた。他からの尾根との合流を過ぎても、疎らなクマザサに覆われた風景は変わらなかった。その展望も無いままに緩やかな尾根を登っていると、登山では無く荒れ地を逍遙しているような雰囲気だった。その雰囲気のままに三度目の山頂に着いた。南は植林に塞がれ、山頂一帯も雑木林とあって展望は悪い。薄ら寒いこともあったが、何となく殺風景さが漂う山頂だった。一休みしていると急速に体が冷えて来た。あいにくの空でもあり展望の楽しみもないので、早々に昼食を済ませて下山することにした。林道に下りる気持ちは無く、あくまでも尾根歩きにこだわりたいので、登ってきた尾根を引き返すことにした。その下りを始めて、程なく小雨が降り出した。雨具を着て木立の中で雨宿りをしていると、少時で霧雨となりほっとする。951mピークに着いた頃には霧雨は止み、陽射しも現れて来た。光が現れたことで、残っている紅葉の色鮮やかさをひととき楽しんだ。その後は順調に下り、743mピークまで下りて来た所で思案した。そこからは林道に下りてしまっても良かったのだが、この下りでは尾根を最後まで歩いてみたい気持ちが出て来ていたので、その気持ちに従うことにした。尾根の先には四等三角点(点名・溝谷)を持つ636mピークがあり、まずはそれを登らなければならない。ところがここで下る方向を勘違いしてイバラの繁茂する草ヤブに突っ込んでしまい、コース修正にけっこう手間取ってしまった。要らぬ苦労をしたものである。正しい尾根に戻ってからは比較的楽に歩いて行けたが、今度は時間が気になりだした。16時が近くなっており、はや辺りは薄暗くなろうとしていた。少し急ぎ足で登って行く。程なく着いた636mピークはすっかり木立に囲まれて展望は無し。苦労して来た甲斐もなく、ただ確認に立ち寄ったようなものだった。後は下るのみ。南へと真っ直ぐに溝谷集落を目指した。まだ若い植林帯の急尾根を防鹿ネット沿いに一気に下ると、集落内の道に出た。もう夕もやの時間だったが、そこから駐車地点までは、さほどの距離も無かった。
(2004/6記)(2012/6改訂)(2020/8改訂2) |