TAJIHM の 兵庫の山めぐり <中播磨 
 
城山   (倉瀬山) 287.7m たつの市
 しろやま
1/2.5万地図 : 三日月
 
【2002年7月】 2002-51(TAJI&HM)
 
   新宮町福栖より  2002 / 6

 たつの市新宮町の国道179号線を東から走っていると、千本の集落が近づく頃にいかにも城跡が有りそうな、この城山が姿を見せる。地図で見ると栗栖川が大きく曲がり、その屈曲点を両側の山が挟むようにしているが、その要害の地に城山が位置していることが分かる。麓から見る姿からして、山頂は長閑な風景が広がっているだろうと期待が持てそうだった。その期待を胸に2002年7月中旬に訪れた。
 前日は台風一過の晴れ晴れとした空だったが、この日は一変して、どんよりとした雲が広がっていた。蒸し暑さもひとしおだった。城山の山頂から東に延びる尾根があり、その端に小さな社が見えたので、その背後より尾根に取り付くことにした。尾根は常緑樹に覆われて薄暗かった。尾根道は以前はあったのだろうがほぼ消えており、低木が取り巻くのみだった。それでも樹間が空いていたので煩わしさは無かった。ただ暑い盛りの低山は空気がこもっており、麓よりも暑いように感じられた。途中で尾根道らしき所も現れたが、すぐに不確かになった。登るほどに蒸し暑さに体がまいってきた。体温が高くなっているようにも感じられた。急激に疲れてきて、低山を登っているのに既に1000m以上登ってきたようにも感じられた。蒸し暑さでバテてきたようだった。息を切らしながら山頂に近づくと、辺りがなだらかになったため、そこが山頂かと思ったら、そこよりもう一段登った所が山頂だった。山頂は平らになっていたが、期待に反して草ぼうぼうだった。主に小笹が多く、その笹に腰まで埋もれてしまった。イバラもはびこっており、城跡らしさは全く感じられなかった。また周囲は雑木が取り囲んでおり、展望を阻んでいた。期待と違った山頂の上にバテのために息切れがしていた。それでも三角点だけは確認しようと、山頂の一番平らな辺りを探ってみた。草むらの中に四等三角点(点名・城山)を何とか見つけたが、見つけたことで気が緩んだのかそこに思わずへたり込んでしまった。バテのため息切れが止まらないため、イバラも気にせず小笹の上に倒れこんだ。そして大の字になって暫しじっとしていた。ときおり僅かな風が渡ることがあり、その涼しさがせめてもの慰めだった。動悸が治まったところで、少しは展望を得ようと辺りを探ってみた。樹高の高い木は少なかったが雑木林にすっかり囲まれていた。何とか見えたのは、北の尾根にある通信設備と、南向かいの田幸山だった。その田幸山も木々を通して見るだけだった。その城山の中腹を林道が通っており、林道は城山の北西隣の270mピークでは、間近を通っている。そこで林道で戻ろうと、まずはその小ピークに向かった。尾根は相変わらず低木などの木々で占められており、それを除けながら歩いて行った。程なく270mピークに着いたが、そこで地図を確認せず、そのまま尾根を辿れば林道に出ると思い込んで、尾根なりに進んでしまった。すぐに林道に出るはずなのに、50mほど下ったのに林道には出会わなかった。そこで漸く地図を取り出して確認してみると、方向違いの北へと下っていた。改めて270mピークへと戻ったが、疲れた体にはきつい登りだった。270mピークに戻って地図通りに林道への方向に下ると、あっさりと林道に出た。後は林道で楽々と戻って行った。
(2002/7記)(2012/9改訂)(2022/3写真改訂)
<登山日> 2002年7月13日 9:14スタート/9:43〜10:10山頂/10:43林道出合/11:05エンド。
(天気) 雨の降る気配は無いものの、空はどんよりと雲が広がっていた。薄明るくなることもあったが、せいぜい淡い青空が現れるまでだった。非常に蒸し暑く、この夏一番と思えた。視界は薄ぼんやりとしていた。
<< Photo Album 2002/07/13 >>
三角点は、山頂の小笹の中に埋もれていた 山頂の展望は悪かった  梢越しに田幸山を見る 樹間を通して、北の尾根も僅かながら眺められた
    
下山の途中、東に高倉山を見る 足下に千本集落の家並みも見えてきた 下山後に改めて高倉山を見る