日本海に近い一等三角点の山へと向かったのは、1999年5月のこと。登山コースについての知識を持っていなかったため、「浜坂」の地図を見て、三成山の北東に見える林道を利用することにした。浜坂町の田君川に沿って南へと走り、田君集落に入って林道へと通じる車道が分岐する辺りの道そばに駐車とした。車道を西へと歩いて行くと自然と林道になった。沢に沿って林道は延びていたが、その沢を[U]の字のように三成山の山稜が囲んでいた。林道の終点に着くと、堰堤があった。そこより南の斜面を登れば、山頂近くに出られることになるが、反対の北へと登って331mピークを目指すことにした。その331mピークから大回りで稜線を歩いて三成山に向かうことにしたもので、稜線歩きも楽しもうとの考えだった。そこで反対の北側の斜面に取り付いた。潅木帯の急斜面で、微かなケモノ道が付いているだけだった。木に掴まりながら登って行くと、自然と小さな尾根を登るようになった。これで少しは傾斜が緩くなった。ただ灌木が密生しており、楽になったとは言えなかった。とにかく尾根を伝って、まずは331mピークに達した。そこからは西にむかっての山稜歩きとなったが、相変わらず灌木や雑草が進路を妨げていたので、剪定ハサミで切り開きながら進んで行った。スタ
ートが遅かったため、山頂までの中間点に達しないうちに昼となったので、風通しの良い所で昼食とした。 そこまでほとんど展望は無かったが、その休憩地点からは観音山をバックに浜坂の町並みが眺められた。昼食後、山稜歩きを再開する。雑草に替わって徐々にクマザサが増えてきた。ササは胸までの丈のため、特に難儀することは無かったが、このササや灌木のために展望は無かった。また尾根を辿るだけで、登山道らしき小径とは出会えなかった。その状態のまま山頂に到着となった。14時半を回っており、漸く着いた思いだった。山頂には立派な一等三角点があり、その付近は刈り払われており狭いながらも開けていた。しかし周囲は灌木が繁って展望は無かった。ただ珍しいのは、三角点近くに天測点と記された高さ1.2mほどのコンクリート柱が建っていたことだった。その上に立って見たが、東の方向の山並みが灌木越しに眺められるだけだった。この時に、コンパスを紛失していることに気が付いた。稜線歩きの途中までは確かに持っていたので、探しに戻ることにした。しかし道が無い上にクマザサや灌木のため、結局は見つけられなかった。下山は山頂より北東に延びる尾根を下って行くことにした。コンパス探しで時間をとられていたので、
焦り気味に急いで下った。この尾根も雑草や灌木が繁っており、少々歩き難くなっていた。また傾斜が緩いため、なかなか高度を下げなかった。途中からは下生えが少なくなって歩き易くなったが、一部でイバラが繁っていたりもした。下山時間を気にしたため休まず下ったため、一時間余りで麓に下り着いた。これならもう少し焦らずに下れば良かったのではと、少々反省をした。兵庫北部の一等三角点の山として展望を期待していたのだが、なんとなくヤブコギで終始してしまった。
(2002/6記)(2010/5改訂)(2021/10写真改訂) |