1998年8月の最終週に但馬の低山でもたまには登るかとの軽い気持ちで光明山を訪れた。この山を選んだのは、麓に「おおやぶ歴史の森」があって、光明山を含めて尾根歩きを楽しめそうに思えてのことだった。空は生憎の曇り空で、まれに陽が射す程度だったが、前日とは変わって暑さは和らぎ過ごし易い日となっていた。養父町大藪集落の「おおやぶ歴史の森」に着くと、東端にあった駐車場に車を止めた。そして集落の奥から始まる林道を歩き始めた。渓流沿いの林道は間もなく岨道に替わった。
その岨道が怪しくなった頃、東から流れ込む小さな渓流沿いに進路を変えた。細々と獣道程度の作業道が続いた。中腹辺りで道が消えてしまったので、右岸の急斜面を登ることにした。辺りは最初のうちは雑木が中心であったが、次第にササが混じり出した。傾斜が急になると共にササも密生し出し、ササを掴んで徐々に登って行った。漸く辿り着いた稜線は、光明山の北方400mほどの地点のようであった。光明山を目指して尾根を辿るが、尾根には潅木が繁っており、少々歩き難くなっていた。場所によってはクマザサも繁っていた。光明山手前でまた傾斜が少し急になったが、歩き始めてより2時間近くかかってようよう山頂に到着となった。そこは周囲を雑木で囲まれて展望は無いものの、中央部は丈の低いササが有るのみで、休憩するには十分の感じだった。風も涼しく、ゆっくりと昼食をとっていると1時間半ばかり過ごしてしまった。この日は北西にある508mピーク(天王山)までの尾根歩きを予定していたので、午後も遅くなったが登ってきた尾根を戻る形で北へと尾根を辿って行った。尾根は途中で東の展望が良くなり、そこからは粟鹿山から床尾山までが視野に広がった。ただ雲が低く、床尾山の山頂部は雲に隠されていた。この尾根は八鹿町と養父町の町境尾根となって西へと方向を変えた。そして一度標高400mの鞍部まで下り、登り返すことになった。その辺りが少しきついかったか。登り返してからの尾根道は潅木も目立たず歩き易くなった。所々で南の展望も開けて、大屋町の山並みが見渡せた。そして天王山に着いた。その三角点ピークは、植林や雑木に囲まれて展望は無し。これで尾根歩きは切り上げることにして、そこより南に向かう尾根を一気に下ることにした。はっきりとした尾根道は無かったが、樹木も疎らで結構歩き易いと言えた。傾斜がやや急なため、短時間で麓に近づいて行った。最後に林道に出たが、その真新しい林道は地図には載っていなかった。林道のままに下って行くと、なんと駐車地点にどんぴしゃで着いてしまった。
(注) このときの登山では、山頂には三角点は無く、持っていた「八鹿」の地図では554mと標高が記されていた。それが2006年9月に四等三角点が新設されて、標高も
551.0mに変更されていた。
(2003/11記)(2013/2改訂)(2022/10写真改訂) |