妙高山と言えば日本百名山に選ばれている信越国境に近い2500m峰が断然有名だが、その高貴な名の妙高山が丹波にもあり、山上には妙高の名に相応しく古刹の神池寺境内が広がっている。この兵庫の妙高山がしっかり登れる山ならとっくに登っているのだが、山上まで車で上がれることや、山の形がなだらか過ぎることもあって、これまで足を向けていなかった。また妙高山の周囲には目を惹く山が多くあって、この丹波市の奥まで行くのならどうしてもメリハリのある登山をしたくなって、どうも後回しになっていたとも言えそうだった。その妙高山が兵庫100山の一つに選ばれた。兵庫100山に選ばれたのなら、100山以外の山と比べて選ばれるだけの理由があるのではと思われて、それではと向かったのは2010年4月の下旬のことだった。ガイド本の「兵庫100山」では南麓の下三井庄からのコースが紹介されており、それを参考に登ることにした。
デカンショ街道を東進していると、まだ十分に花を残している桜がちらほら見られた。その丹波の空が、天気予報とは少し違っていた。予報は晴れとなっていたのだが、雲の多い空だった。それもどんよりと曇っているのでは無く青空も見られたが、黒い雲もあるという、ちょっと変わった空だった。途中ではいっとき小雨も降ってきたので、決して良い天気とは言えなかった。その空が妙高山に近づいても続いており、県道69号線から妙高山が見えてきたときは、上空は雨雲で妙高山には陽が当たるという、ちぐはぐさを見せていた。駐車地点は林道の途中にある風呂吹池のそばと考えて、その風呂吹池を目指した。南側から近づいて行けば、適当に林道へと入って行けるものと思っていたのだが、近づいても標識は現れず、道なりに走っていると、総合運動公園へと逸れてしまった。そこで地形図を頼りに細い集落の道へと入り、案内の無いまま北へと進むと、車道は自然と林道に変わった。それでも標識一つ無いので、一度はその林道を疑って引き返したが、周囲を探ってもその林道以外は考えられないと改めて林道に向かった。害獣避けゲートを開けて山中へと車を進めると、林道は急傾斜となってきた。かまわず進むと、程なく溜め池のそばに出た。それが風呂吹池だった。予定通り着いたことになるが、せめて妙高山の名ぐらいは欲しいと思われた。溜め池のそばには広い空き地があったので、そこに適当に車を止めて歩き出した。着いたときの空は薄い曇り空だったが、黒い雲が広がろうとしていた。まだ林道は続いており、その林道を歩いて行くとすぐに林道は二手に分かれた。どちらの林道を進もうかと考えようとしたとき、右手の道に立っていた林道の標識に、小さく妙高山の文字を見た。漸く妙高山の名が現れたことになる。その右手の道に入ると、すぐに林道は終わって山道に変わった。このとき曇り空から小雨が降ってきた。どうせ止むだろうとかまわず歩いて行った。その通りで雨はすぐに止み、曇り空に戻った。山道は小さな沢に沿って続き、始めは左岸を歩いたが、一度右岸に渡り、また左岸に戻った。その周囲は薄暗く、また道は少し荒れ気味で、道としてはマイナーな雰囲気だった。但し道幅は十分にあった。沢そばを離れ出すと周囲は雑木が増えて、新緑の木々で明るくなってきた。コバノミツバツツジがあちらこちらに咲いていた。道も歩き易くなっていた。溜め池の地点で標高は200mほどだったので、30分ほどで妙高山の主脈を越す峠に着いた。そこより左手に尾根を辿れば尾根伝いで山頂に行けることになるが、神池寺経由で山頂に向かうことにした。その峠の位置から北へと道は十分な道幅のまま緩やかに続いていた。それを辿ると前方にお寺の建物が見えてきた。神池寺の境内に入ったようだった。拝殿の前を過ぎると町中で見かけるようなコンクリート作りの立派な建物が現れた。神池寺会館とあった。近くには駐車場もあり、やはり信者は車で来るようだった。このときは上空に青空が広がっており、神池寺境内を明るく照らしていた。庫裏の前を過ぎ常行堂を左手に見ると、本堂への長い石段が始まった。古刹の雰囲気は十分だった。仁王門を通って本堂の前に出ると、右手の北の方向には広々とした公園のような広がりが見えていた。妙高山は地図の通りに山上になだらかな空間が広がっているようだった。その公園へ向かおうとしたとき、空が曇ってきたこともあって先に山頂を目指すことにした。山頂は本堂の横の道を進んで行くのだが、神池寺に着いてからは山頂への標識が所々に立っていたので、山頂方向は分かり易かった。空が暗いこともあってか樹林の中に続く山道は薄暗かった。それにしても展望の無い山だった。神池寺に出るまで展望の無いことを気に止めていなかったのだが、神池寺境内は平坦とあってやはり展望は無し。そして山頂への道に入っても、すっかり木々に囲まれていた。考えれば山の木は神木として自然なままを保たれているのかも知れなかった。その木々の中ではアカガシの老木が目立っていた。薄暗さが一段と増すと小雨が降ってきた。晴れたり雨が降ったりと、忙しく変わる空だった。その小雨も山頂手前で止むことになったが、薄暗い中での山頂到着だった。小さな祠があって、大ぶりな三角点は二等三角点だった。ただそれ以外に特徴と言えるものは無く、それまでの道筋と同様に木々に囲まれて展望の無い山頂だった。始めの考えでは山頂で昼食をとるつもりだったが、山頂は冷たい風があって寒々としていた。そこで数分と休まずに切り上げた。そして本堂横の広場へと向かった。その頃には再び陽射しが現れようとしていた。広場に着いてみたものの、ただ広いだけで展望は無かった。但し大木と呼べそうな立派なシダレ桜が二本立っていた。満開は少し過ぎていたが、まだまだいっぱいの花を付けており見ごたえは十分だった。その広場よりも一段高い位置に水道設備が見えていたので、そこに展望があるのではと近づいてみると、展望は無かったのだが、中で黒いものが動いていた。タヌキのようで餌探しに熱中していた。そっと近づいても気づかれず、カメラを構えたとき漸くこちらを振り向いた。そこに人間がいるとは思っていなかったようで、暫く怪訝な顔をしていたが、分かると全力疾走で逃げ出した。展望は諦めて、昼食はシダレ桜を眺める位置でとることにしたが、その雰囲気も悪くなかった。その後は下山に移ったのだが、どうにも展望を得られなかったことが寂しく、神池寺会館を過ぎて峠の位置まで戻ったとき、再び山頂を目指すことにした。今度は稜線歩きで向かうことにした。最初のピークまでけっこう急坂が続いたが、そこがこの日で一番きつい所ではと思われた。100mほどを一気に登って550mピークに着くと、やはり展望は無く、樹林に囲まれた薄暗い中に五輪塔がぽつんと立っていた。そこまでの道はさほどはっきりとはしないながらも道としては続いており、その先も尾根道として続いていた。ときに石仏が現れたので、以前から山頂への道として歩かれているようだった。この尾根道でこそ展望が開けるものと期待したのだが、やはり展望は開けなかった。その周囲の木々としては、モミの木が多いようだった。最初のピーク以後は尾根は緩やかなまま続いて、ごく気軽に山頂に着いた。この二度目の山頂では少し周囲を探ることにした。尾根道は更に西へと続いていたので、今暫く辿ってみたが、あまり変化が無いまま下りが続いていたので引き返した。山頂を少し南に下った位置にも小径があったが、やはり展望は無かった。結局は諦めて山頂へと戻った。そのとき陽射しが現れて、三角点付近を明るくした。やはり陽を受けた山頂の方が気持ちが良かった。二度目の山頂からの下山としては神池寺へは下らず、今歩いてきた尾根を引き返す形で戻って行った。やはり尾根道を踏む方が山に浸れた感じがするからだった。峠に戻ると、後は風呂吹池へと下るのみ。この下山では前方に展望が開けないかを注意した。その気持ちで下って行くと、すぐに前方に三尾山の望める所が現れた。但し木々の切れ目から少し覗いているだけで、ごく狭い範囲しか見えていなかった。そうなると木に登って展望を得るまでと、手頃な木に登ると、三尾山だけでなく鋸山までも望めて、漸く妙高山に立っていることが実感出来た。後はもうすたすたと言った感じで下って、風呂吹池に戻ってきた。その風呂吹池のそばに改めて立ってみると、そこからも三尾山の山頂がすっきりと見えていた。結果として妙高山は登山として楽しむよりも、山上に広がる神池寺が山に溶け込んでいる様を味わう山ではと思った。この日はシダレ桜の風情を楽しめたが、カエデの木を多く見られたので、秋の紅葉も良さそうだった。ところで展望のことだが、麓の下三井庄の里からは、三尾山も妙高山も更には三嶽もすっきり眺められて、山里として雰囲気の良い集落だった。
(2010/5記)(2021/10改訂) |