TAJIHM の 兵庫の山めぐり <南但馬 
 
大倉部山    おおくらべやま 691.9m 朝来市
 
1/2.5万地図 : 但馬竹田
 
【1999年1月】 No.1 1999-09(TAJI&HM)
 
    大路山より  1995 / 2

 国道312号線を北上して行くと、竹田城跡と共に竹田の家並みが近づいて来るが、それを見て和田山町まで来たと実感するが、その竹田の里を通り過ぎて次に見えて来るのが、西から東へと緩やかに尾根を引いた山だった。それが大倉部山で、けっこう目を惹く姿をしている。そこで一度は登っておこうと1999年の1月下旬に訪れた。この山についての知識は全く無く、近づいて山の様子を見てから登るルートを考えることにした。円山川を渡り、久留引集落を横に見て林道を進んで行ったところ、谷への入口にゲートが有ってその先へ進めなくなった。山裾を見ると針金の柵がびっしりと巡っており、更にその柵の上は鉄条網も付けられていた。登り口を求めて集落に戻ると、熊野神社のそばが駐車地点に適していたため、そこに駐車とした。ついでにそのそばから山中に入ることにした。神社の背後の沢に入って主尾根へと向かうと、小さな尾根を越した所に先ほどの針金柵がそこまで延びて来ていた。それを越さないと進めそうにないため、何とか鉄条網を乗り越えて柵内に入った。登り易そうな位置を求めて少し柵沿いを進むと、檻が目に付いた。そしてその檻に鹿が一頭入っていた。 檻は鹿用のワナだったようで、囚われの鹿がこちらを見て逃げようと暴れ出した。かわいそうだがどうする訳にもいかず、その必死にもがく様を横目に先に進んだ。山裾を巡る頑丈な柵は鹿避け用に作られたと納得した。適当な位置で雑木の斜面を登り出すと程なく山道に出会った。但しその道は山腹を続くだけで、上には向かっていなかった。それでも少し歩くと支尾根と接したので、後はその支尾根を登って行くことにした。尾根は緩やかで雑木も疎らだったため、適当に登って行けた。ただイバラ混じりの下生えがあり、少し煩わしくはあった。また倒木も多く、それにもじゃまされた。登るほどに斜度は増して来て、稜線までがけっこう長く感じられた。稜線に出るとそこは520m標高点の位置で、後は西に向かって主尾根を登るのみだった。山頂までに小さなピークが幾つか有るものの、煩わしい潅木は少なく尾根は緩やかとあってけっこう気楽に歩いて行けた。この主尾根に出てから雪を見るようになった。そして次第に増えて来た。山頂が近づくと10センチほどになり、多い所では20センチほど積もっていた。その雪面から灌木が疎らに生えた様は、けっこう風情が感じられて良かった。なお山頂近くで猟犬が5、6匹現れて吠えかけらたが、それだけのことで程なく離れていった。のんびり歩きのままに着いた山頂には休むのに適した岩があり、また展望もまずまず良かった。南東には竹田城址が見えており、その背後の山は朝来山のようだった。そして白い粟鹿山がその左手に控えていた。北には床尾山、そして西には建屋山が大きく見えていた。残念だったのはモヤの強い視界で、どの山並みもうっすらとしか見えていなかった。但し休憩にはこの日の山頂は適していた。暖かい陽射しを受けながら、快く休憩することが出来た。おかげでずるずると2時間近くは過ごしてしまった。下山は主尾根をひたすら下ることにした。512m標高点を過ぎてもそのまま東へと進んで行くと、傾斜が急になり出し、それまであった目印のテープは見え無くなった。それでも植林帯の急斜面を木に掴まりながら適当に下って行くと、無難に麓に下り着いた。そこは枚田集落の南外れの位置で、そこには柵が無かったため楽に車道に出ることが出来た。後は熊野神社へと車道を歩いて戻って行った。
(2002/9記)(2007/8改訂)(2021/10写真改訂)
<登山日> 1999年1月23日 9:53スタート/11:06[520m]ピーク/12 :00〜13:50山頂/14:27[520m]ピーク/15:20車道出合/15:42エンド。
(天気) 晴れてはいたが本当にぼんやりとした空で、雲と青空の境界がはっきりしていなかった。視界もモヤがきつく、遠方はほとんど何も見えない。暖かい日で陽射しは軟らかく、春のような陽気だった。雪は山稜部や北面には残っていたが、尾根筋でも地表の現れている所が多かった。
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山頂より南東方向
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