TAJIHM の 兵庫の山めぐり <西播磨
 
行者山 (生栖行者山) 787.2m 宍粟市
 ぎょうじゃさん
1/2.5万地図 : 安積
 
【2001年10月】 No.2 2001-54(TAJI&HM)
 
    田ノ尻集落より  2001 / 10

 二度目は6年後の同じく秋の季節、2001年のことだった。初めての登山で北麓の生栖集落から登山道があることを知ったが、その登山道を単純に往復するのでは面白みは少ないと思え、二つの三角点を踏む計画した。それは下山こそ登山道を歩くものの、登りは花咲山とこの行者山の中間点にある617mピーク(点名・上野田)を通ってから行者山まで尾根を伝うというものだった。
 このときの心配は自分の体のことだった。その月の初めに上越の平ヶ岳、越後駒ヶ岳を登っていたのだが、その後なぜか右手の調子が悪くなっていた。まったく力が出なくなっており、そこで整形外科通いをしていたのだが、その日もリハビリを終えてからの出発だった。そのため生栖集落の南隣となる田ノ尻集落に着いたときは11時になっていた。その田ノ尻集落のそばを揖保川が流れており、そこに架かっている小橋を渡った対岸側に駐車とした。まずは尾根に手っ取り早く出ようと、田ノ尻集落から始まる林道を登って行った。集落を抜けて行くと道は舗装路からダート道に替わった。荒れ道であまり利用されていないようだった。つづら折れで登って林道の終点に着いたが、そこから地図では尾根まで破線路が示されていたのだが、それらしき道が見当たらなかった。(最新の地図では破線路は消されていた。)とにかく尾根に出ようと山の斜面を適当に登ることにした。笹と灌木が繁ってけっこう煩わしかったが、数十メートルほどヤブコギをすると、山道に出会った。どうやら地図の破線路らしい。その道を歩いて南麓側にある上野田集落との峠に出た。峠には尾根に沿って防鹿ネットがあり、傍らに小さな祠があった。峠道の名残であろうか。ただ辺りは全くのササヤブになっていた。そこからはまず南西に向かって、予定通り四等三角点(点名・上野田)のある617mピークを目指すことにした。尾根こそササが繁っていたが、少し尾根を外すと植林帯になっていたので、尾根と平行にその植林帯の中を歩いて行った。少し歩くと尾根に共同アンテナが立っており、そこからは南東に向かっての展望が開けていた。やがて尾根は北西に曲がったが、その辺りからは全くの植林帯となり、俄然歩き易くなった。そして尾根はまた南西へと向かい出した。自然林も混じり出した尾根は、下生えが少なく気楽に登って行けた。ただ展望はほとんど得られなかった。やがて着いた617mピークも雑木に囲まれており、展望は無し。スタートが遅かったため、この時点で12時半ばになっていたので、ここで昼食とした。30分あまりの休憩の後、いよいよ行者山に向かって歩き出した。峠までは同じ道を辿るのだが、尾根が途中で南東に曲がる所を真っ直ぐに下ってしまい、コースに戻るのに少し時間をくってしまった。峠に戻り着くと、その先に尾根道の名残なのか消えかかった小径を見たが、ほとんどササと灌木に隠されていた。 ほぼヤブコギ状態で登って行くが、それ以上に蜘蛛の巣が多く、厳しい登りだった。また木に掴まりたくても右手がやや不自由なのもやっかいで、徐々にしか登って行けない。尾根には終始防鹿ネット(鉄線)が続いていた。尾根登りを続けるうちに傾斜がきつくなってきた。そのためか振り返ると、登ってきた方向の展望が開けていた。先ほど登った617mピークの右手には黒尾山が見えていた。そこを過ぎて暫くするとササが消えて漸く歩き易くなった。自然林の広がる尾根は、もう黄色く色づき始めていた。行者山の三角点ピークに着く前に双耳峰のもう一つのピーク(740mピーク)を越すのだが、そのピークが近づくと尾根には大石がごろごろと散らばる風景となった。そして740mピークにようよう着いた。そこにも石仏が置かれていた。そこからははっきりした山道を歩くことになった。山頂との鞍部辺りで生栖集落からの道が合流したる。そして山頂へと最後の登りにかかった。山頂への急坂が始まる手前に小屋(行者堂)があり、そこに立ち寄ってこの山が生栖行者山と呼ばれていることをこのとき知った。やや急坂を登って山頂へ。二度目の山頂だったが、遠く藤無山から須留ヶ峰までの稜線が遮るものも無く見渡せた。間近にも東山がどっしりと見えており、右手には高峰に大段山も見えている。北西遠くの大きな山は三室山か。この展望に出会いたくて登ってきたのだが、再び目に出来て、来て良かったとの思いがしみじみと湧いてきた。この展望以外にも少し位置を変えると、暁晴山や雪彦北部の山並みも眺められ、夕暮れの雰囲気が迫りだした中で暫しの時を過ごした。16時を回ったところで下山とする。下山は生栖集落への登山道を下って行く。緩やかにつづら折れで下って行くが、周囲は終始植林帯で薄暗かった。降り着いた所に祠があり、そのそばで林道に合流した。そこに石碑があり、「行者山登山記念」と記されていた。後は林道・能栖線を下って麓に向かって行くと途中にゲートあり、生栖集落に下り着いた。そして揖保川沿いの県道を歩いて駐車地点へと戻って行った。
(2002/1記)(2009/6改訂)(2020/12改訂2)
<登山日> 2001年10月27日 11:08スタート/11:32林道終点/11:49峠/12:26〜13:12点名・上野田/15:07[740m]ピーク/15:22〜16:03行者山/16:42林道出合/17:07エンド。
(天気) 空にはやや薄雲が見えたが、まずの快晴。風は無く暖かで爽やかそのもの。Tシャツでも十分過ごせた。全くの秋の好日と言えた。視界は十分に澄んでおり、風景がくっきりと見えた。ただ午後も遅くなると西の薄雲が上空まで広がり出した。
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 山頂そばより北の
 方向を見ると、播
 但を限る山並みが
 眺められた
 

 左の写真に写る藤
 無山を大きく見る

 山頂そばより北の
 方向を見る

 山頂そばより南東
 方向を見る