暁晴山から西へと派生する尾根は、最後は花咲山の大きな山塊となって揖保川そばで終わるが、その尾根の中ほどに小槍を従えた秀麗なピークが目に付く。それが行者山で、その双耳峰は遠くからでもよく目立っており、遠くは播但尾根からも眺められる。この行者山を一度は登ってみたいと興味を持ったのは95年のことだった。ただこ登山コースの知識は全く無く、地形図から判断するしかなかった。「安積」の地図を見ると、南麓側に能倉(よくら)集落があり、北麓側は生栖(いぎす)集落だったが、その二つを比較すると、能倉集落側から延びている林道でアプローチするのが比較的易しそうに思えた。
訪れたのは1995年11月のこと。能倉集落に入って林道へと進み、林道の入口に駐車した。歩き出すも林道はあまり利用されていないようで、相当荒れていた。途中からは背丈ほど伸びた雑草をかき分けて進むことになり、全くのヤブコギ状態となってしまった。これでは無理に林道を歩いていても意味が無いのではと思えて、終点まで歩かず標高500m辺りで林道を離れることにした。そして山頂方向を目指して真っ直ぐ山の斜面を登って行った。斜面の傾斜は少しきつかったが、疎らに雑木があるだけで、また雑草やイバラに煩わされることも無く無難に登って行けた。ただ足下に浮き石が多くあって、それには注意を要した。辺りの木立は紅葉をほぼ終わって、落葉が進んでいた。主尾根に着いてみると、そこにははっきりとした小径が付いていた。その道は生栖集落側から来ているように思われた。後はその道を登って行くと、山頂近くに願掛け地蔵があり、無難に山頂に着いた。その山頂では北から東にかけて展望が開けており、東山に大段山、高峰、暁晴山が良く見えていた。下山は登ってきたコースをほぼ忠実に辿って能倉集落へと戻った。この日の登山で残念だったのは、三角点が確認出来なかったこと。櫓の跡まであったのに、どう捜しても標石が見つからなかったのは不思議だった。
(2002/1記)(2009/6改訂)(2020/12改訂2) |