宝引山に対する知識は全く無かったが、氷ノ山(1/2.5万)の地図を見ると、関宮町の中瀬集落から宝引山の山頂まで破線路が書かれている。地図に山名まで記されており、これはすんなりと登れる山ではと思えた。麓との標高差は550mほどあり、楽過ぎず厳し過ぎずで手頃なハイキングが楽しめそうだった。そこでごく軽い気持ちで訪れたのは95年7月初めのことだった。中瀬集落内の空き地に車を止めて、近くにいた人に登山口のことを聞くと、全く知らないとのことだった。おまけに小さいときから住んでいるが、宝引山の名さえ聞いたことが無いと言われたのには驚いてしまった。仕方なく破線の書かれている経路と思われる谷筋に入った。しかしこの経路はほとんど歩かれていないのか、沢の入口辺りは日当たりの良いこともあってか、すっかり草ヤブになっていた。そこを迂回して沢筋に入ると、沢沿いに小径を見た。地図の破線路のようだった。但し踏み跡程度の小径で、山道とは言えそうになかった。沢沿いを歩くうちに傾斜がきつくなってきた。地図では破線路は尾根の方向へと沢を離れているので、それと覚しき小径を見つけて辿って行く。いわゆるトラバース道だった。地図では斜面を登るようになっていたが、道なりに歩いているとどんどん西へと歩いて、別の沢に出会う辺りで小径は不確かになった。戻って尾根への道を探すのも面倒なので、その辺りからムリヤリ尾根の方向へ登って行くことにした。尾根に出ると、そこに踏み跡程度の道を見た。それが地図の破線路の続きのようだった。後は山頂まで一本道と、漸く軌道に乗れた思いになったが、標高が600mを過ぎた辺りよりクマザサが茂り出した。尾根の小径はササに隠れ気味になり、ちょっとしたヤブコギ状態で登って行く。小径の見えない所は適当に登って山頂に近づくと、山頂付近はクマザサの更なる密集地で、完璧なヤブコギだった。始めの思惑とすっかり違ってしまったこともあり、暑さの中でのヤブコギにパートナーがバテてきた。悪戦苦闘の末、何とか山頂の三角点に着いたときは3時間半が経過していた。山頂はササヤブだったが、ブナを始めとする大木が多くあった。その喬木が取り巻いていることもあって、展望はほとんど得られなかった。僅かに北東方向に木立の隙間があり、そこより妙見山の山頂部を覗けたのが、唯一の展望だった。(途中においても展望の開けた場所は無かった。)山頂では1時間ほど休憩したが、ヤブ蚊が多くてけっこう悩まされた。下山は往路を戻ったが、再びのヤブコギは少々気分的にいただけなかった。この下山では最後に三柱神社に下り着いたが、ここは朝の登りでは草ヤブで迂回したようだった。
地図にはっきり経路が書かれているのに、これほどのヤブコギ登山になるとは登る前には全く想像出来なかった。破線が書かれていても安心は出来ないと、肝に銘じて知らされた日だった。
(2002/7記)(2009/10改訂)(2020/11写真改訂) |