宝引山は氷ノ山と妙見山に挟まれて、ごく低山に見えるが、その優しげな姿が国道9号線を東から走っているときに眺められ、見た目の印象は悪くない。しかも地図には山頂までの登山道が記されている。これは登るのに易しい山ではと気楽に考えて、向かったのは1995年7月の蒸し暑い日のことだった。ところが登山道はほとんど消えようとしており、しかも途中からずっとクマザサのヤブコギだった。その苦労の末に着いた山頂は展望は無く、何ともマイナーな山との印象になってしまった。その宝引山が03年に発刊された「たじまハイキング」に紹介されたときは少々驚いた。こちらが登った6,7年後の記録かと思われたので、その間にクマザサは減少していたようだった。そのマイナーな山として記憶されていた宝引山だが、あまり写真を撮っていなかったこともあって、次第に山自体の印象が薄れてきた。そこで今一度登って新たな印象を持ちたくなってきた。クマザサもずっと減っていることと思われたので、どのように変わったのかを、実際に目で確かめたい気持ちもあった。
向かったのは2009年10月の秋晴れの日だった。富土野峠を越えて但馬に入っても快晴の空は続いており、それを見て展望の悪そうな宝引山よりも他の山を登るのが良いのではと、少し考えがぐらついてきた。ただ地図としては「氷ノ山」「関宮」の二つしか用意していなかったこともあり、予定通りに宝引山を目指すことにした。国道9号線を関神社前交差点で離れて県道87号線に入る。今回も前回と同様に南麓の中瀬集落から始まる登山道を登る予定だったが、その登山道を忠実に辿る考えは無かった。まずは登山口のある中瀬集落辺りまで来てみたが、すんなり駐車出来そうな所が見当たらなかった。前回は集落の一角に止めたのだが、今少し迷惑にならない所はと捜してみたものの登山口近くに適当な場所は見えなかった。結局、東向観音の近くにあった高台に止めることにした。そこをスタートすると、小橋のそばの登山口まで5分ほど歩くことになった。登山口と言っても標識は無く、民家の間の急坂道を山へ向かって登って行く。すぐに三柱神社のそばに出た。登山コースは神社の東側、小さな沢沿いの小径だった。それを辿って行くと、すぐに堰堤の前に出た。そこを右手を巻くと墓地のそばに出た。それを横目に沢筋に戻ると、沢は足下から離れて見えていた。それも少し進むと、再び沢そばを歩くようになった。周囲は植林地で薄暗かった。その植林を保護するためか石垣も見られたが、かなり古びていた。小径ははっきりしているとは言えず、最初は左岸を歩いていたが右岸が歩き易そうに見えると右岸を歩いたりと、沢はごく小さいため適当に沢を横切って、歩き易い側を登って行った。その歩き易いままに歩くうちに、どうやら地図の破線路を踏まずに沢を詰めていることに気付いた。そこで地図を見ると、その先で急傾斜になるものの山頂へ向かって行くようなので、そのまま沢沿いを登って行くことにした。やがて大きな岩が前面に立ちはだかったので、それを巻くともう一回り大きな岩が現れた。それも巻くと、沢ははっきりしなくなり、その先は疎らな雑木の優しげな風景が広がっていた。傾斜はまだ緩く、気楽な感じで歩き易い所を登った。そして次第に傾斜が増してくると、左手間近に尾根が見えたので、ひょいと言った感じで尾根に上がった。そこには目印テープがあり踏み跡程度の小径が尾根に続いていた。どうやら地図の破線で示された登山道にうまく合流したようだった。その辺りは前回ではクマザサで覆われていたはずだが、すっかり消えていた。やや傾斜のきつい尾根で雑木に覆われていたが、アカマツがよく目に付いた。一度、尾根が緩くなったとき、足下にイワカガミの葉が目立つようになってきた。他の山でも見かけることだが、どうもササヤブが消えた後はイワカガミが増えるように思えた。尾根はすぐに急傾斜に戻り、そこをじっくりと踏みしめながら登って行く。クマザサが消えただけに、この急斜面を登ることに意識を集中出来た。尾根には昨年の落ち葉が多く残っていたので、それに滑らないようには注意した。周囲は木立が取り囲むために展望は無かったが、そのうちに右手前方に小さなピークが木立を通して見えるようになった。ほぼ山頂が近い位置まで登ったようだった。そのピークのある東尾根と合流すると、もうすっかり一帯はなだらかそのものだった。前回はそこから山頂までもクマザサのヤブコギが続いて山頂が遠く感じられたものだったが、何とも優しげな風景で、気楽に歩いて行けた。巨木が目立つようになったが、一部の木は色付き始めていた。またここに来てすっかり枯れたササが残骸のように残っているのを見かけるようになった。そして散策のような感じで山頂に着いた。その山頂は三角点を中心に木立が切られており、すっきりと開けていた。但しなだらかなだけに周囲の高木が展望を閉ざしており、展望が悪いのは前回と変わらなかった。それでも木が切られた分だけは良くなっており、北向かいの妙見山は比較的良く見えていた。この山頂で昼食をとった後は、今少し展望は無いかと辺りを眺めたが、木立の隙間から氷ノ山の山頂がちらりと見えるだけだった。その方向の木立が無ければ、この宝引山は氷ノ山の素晴らしい展望台になることは確かなようだった。下山ルートは特に考えていなかったが、このクマザサの消えた山の様子を見て、尾根を変えて下山することにした。それは山頂の西隣りにある770mほどのピークから真っ直ぐ南に延びる尾根で、緩やかなまま下って行けそうだった。その西へと歩き始めると、そちらは植林地が北側に広がるようになり、あまり風情は感じられなかった。ただ緩やかな尾根なので、歩くのは易しかった。その尾根を歩くとすぐに770mピークに着いたが、時間があることでもあり、その先の760mピークまで歩いて見ることにした。相変わらず植林地が続いていたが、ときおり木立に切れ目があり、それは北の方向だったが、妙見山から瀞川山へと続く風景が眺められた。760mピークは雑木と植林が混じってちょっと雑然としていた。尾根歩きはそこまでとして引き返し、770mピークに戻って南尾根に入った。緩やかな尾根で最初は植林地を下ったが、尾根には測量用のピンクテープが点々とあり、歩き易い小径が続いていた。この尾根にもクマザサは見えなかった。少し下った位置で右手の木立に切れ目があり、少しだが氷ノ山が望めた。それを眺めてから尾根歩きを続ける。下るうちに一段と緩やかになり、周囲は雑木林の風景となった。下生えは無く木立は空いているとあって、何とも楽な下りだった。但し展望は無かったが。この尾根で一つのポイントになるのが532mピークで、そのピークには30分ほど下って着いたが、雑木林の広がるごく普通のピークだった。後は麓までと思っていると、そのピークより少し下った所が平らに開けていた。そして中央には三角点(点名・堂ヶ谷山)が置かれていた。持っていた「氷ノ山」の地図は平成4年発行と古く、その三角点は載っていなかったが、三角点の新しさから最近になって置かれたようだった。地図を見ると、その先で尾根は南西と南東に分かれるようなので、南東尾根に入ろうと左寄りに下った。尾根を辿り出して、後はそのまま麓に下りるだけだったが、下るうちに急斜面になってきた。またササも現れてきた。そして前方より工場の音が聞こえてきた。それは日本精鉱の中瀬精錬所で、程なく木立を通して工場が見えてきた。麓が近づいて急斜面の植林となり、県道に下り着くとそこに小橋があって、洞ヶ谷橋の名が付いていた。後は県道を歩いて駐車地点へと戻るだけだった。
最後は少しヤブっぽくなったが、それもごく軽いもので、結局ヤブに会うこともなく周回ルートで宝引山を登れたことになった。どうやら宝引山は展望は悪くともじっくりと尾根を踏みしめて登る、味わいのある山に変わったようだった。
(2009/10記)(2020/11改訂) |