TAJIHM の 兵庫の山めぐり <南但馬 
 
大持山    だいもつやま 822.5m 朝来市
点名・細平    ほそびら 692.1m
 
 
1/2.5万地図 : 但馬新井
 
【1997年8月】 1997-51(TAJI&HM)
 
   《大持山》 婆々山の北尾根より  2007 / 6

 生野町の銀山湖はバス釣りを楽しめる所として、また夏はキャンプ地として冬季以外の季節はけっこう賑わいがあるが、それを取り巻く山々はその賑わいとは無縁の静かな世界である。その銀山湖の山々はヤブ山歩きを楽しむ気で登れば、けっこう気楽な山歩きが楽しめる所でもある。1997年の4月にもっつい山を登ってその感を強くした。そのもっつい山を登るときに、銀山湖とは少し離れるが多々良木ダム湖に近い尾根に800mを越える三角点ピークがあって、その山とどちらを登るかと少し迷ったものである。もっつい山を登ってその静けさが気に入り、その三角点ピークもぜひとも登ってみたくなった。それが大持山で、同じ年の8月に訪れた。
 生野町の銀山湖を過ぎ、黒川地区に入って長野川が市川に合流する手前に駐車とした。地図(但馬新井)にその近くから大持山方向に向かう破線路が谷筋に付いており、それをアプローチにする考えだった。ところがその道に入ると尾根に向かって歩き易い道が付いているのを見て、それを登ることにした。ずっと続くと見ていたのだが、すぐ近くの送電塔で終わってしまった。単なる巡視路だったようである。仕方なく後はやや急な尾根を適当に登って行くことにした。尾根にはマッタケ山なのか入山禁止の標識が付いていたが、別にその季節でも無いので登りを続けた。程なくその領域を抜けると、尾根にはクマザサが増えてきた。やがて尾根は南西に折れ、尾根に沿って害獣避けネットが続いた。その頃には少し歩き難いものの、踏み跡程度の尾根道も現れた。そこまで展望は良くなかったのだが、登るにつれ南の山々が見え出した。その尾根の傾斜は緩く、だらだら坂の風で暫く続いて、最後に細長い山頂部に出た。害獣避けネットはその山稜部でも続いていた。まずは三角点を確認することにしたが、平坦な山稜でそこにクマザサがあるとあって、三等三角点(点名・直谷)を見つけるのに少々手こずった。その三角点近くで鹿の白骨体を見た。その大持山は東面が新しく植林されたばかりとあって、そちらはすこぶる展望が良かった。黒川ダムを手前にして、粟鹿山が望まれた。その左手は青倉山、右手は雲須山だった。南東には三国山も覗いていた。その素晴らしい展望も薄モヤですっきりと見えなかったのは残念だった。その山頂は涼しげな風が吹いており、その風に誘われて暫しの昼寝が楽しめた。休憩後は北東方向へ向かって下山とした。その尾根にも害獣避けネットがあり、急尾根をネットに沿って下って行くと、大持谷の林道に下り着いた。その先でログハウス村に出会い、そこを抜けると本村集落だった。後は車道を歩いて駐車地点へ戻るだけだったが、大明寺橋に出たとき、国道429号線を通行する車の多いのがちょっといやになり、国道歩きは止めて前方の692mピーク(点名・細平)を登って戻ることにした。最初は急斜面の植林帯だったが、暫くすると送電塔の巡視路に出会い、一気に歩き易くなった。但し巡視路は送電塔までで、その先は道の無い雑木の急尾根登りとなった。もう本格的な山登りで、この日二つ目の山とあって、けっこう足に堪えた。漸く着いた山頂に四等三角点(点名・細平)を見る。そこは雑木に囲まれているとあって展望は悪く、北東に雲須山が少し見えたのみだった。すぐに南へと尾根なりに下って行った。最後は植林帯を通って麓に着くと、そこには「私有地につき入山禁止」の立て札があった。車道歩きをきらって山越えで戻ったのだが、夏の登山としては少し厳しいものになってしまった。
(2001/12記)(2007/6改訂)(2022/4写真改訂)
<登山日> 1997年8月31日 10:03スタート/11:25〜13:12大持山/14:00本村部落/14:50〜15:00点名・細平/15:35エンド。
(天気) 晴れてはいたが、視界はモヤがかって悪かった。やや暑い程度。稜線では西から涼しい風を受けるも、風が止まると蒸し暑さを感じた。午後に入って薄モヤがかった空は少しずつ薄曇りとなり、やがて曇り空に変わった。
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大持山の山頂から
は北の方向に展望
を得た

粟鹿山の手前に見
えるのは黒川ダム
湖だった

左の写真に写る青
倉山を大きく見る

上の写真に写る粟
鹿山を大きく見る

左上の写真に写る
雲須山を大きく見


大持山の山頂より
南東に三国岳を見


帰路に点名・細平
がある692mピ
ークを登ったが、
その中腹から北西
方向を見ると、先
ほどまで立ってい
た大持山が望まれ