東床尾山を北から登りたく、但東町桐野集落に向かった。集落に入ると東床尾山に向かって真っ直ぐ延びる林道があり、その林道の入口近くに駐車とした。積雪を想定して登山靴は冬靴にしており、ワカンとストックを携行してスタートした。。林道を歩き始めるとすぐに獣除けのゲートが現れた。そこを抜けて林道歩きを続ける。林道は終始平坦で、出石川に沿って続いていた。始めは左岸側を歩いていたが、程なく橋を渡って右岸を歩くことになった。道はほぼ平坦なまま続くも、徐々に荒れてきた。やがて車の通行は不可能と思えるほどになり、道幅も狭くなってきた。もう山道の様相だった。そのまま歩いて行くと、とうとう道は消えてしまった。その先は右手の斜面に踏み跡程度の小径を見たので、それを辿ることにした。少し登ると、道は沢に沿って延びる道と尾根に向かう道とに分かれたので、そこは沢沿いを辿ることにした。その結果としては尾根に向かう方が正しかったかもしれない。その沢沿い道もやがて消えてしまった。地図で現在地を確認したところ、東側の尾根が頂上に向かっていたので、その尾根を目指して左手の支尾根に取り付いた。灌木の尾根だったが、灌木は密生しておらずまた下生えも少ないとあって、無理なく登って行けた。それも次第に灌木は密生し出した。そうなると携えてきたストックが枝に引っかかって邪魔になってきた。そこでザックにくくりつけたが、やはりひっかかった。何とも難儀なことだった。とにかく登るしかないのでその支尾根を登り切って、東床尾山に繋がる尾根に合流した。漸く緩い尾根を歩けることになった。尾根の木々は雑木が多く、そのことでも楽になった。その尾根の小ピークに達したとき、方向を誤って下り出したが、直ぐに気付き軌道修正する。次第に低木が密になり、真っ直ぐにはなかなか歩けなかった。その低木帯を抜け出すと、伐採の跡地となり漸く雪が現れた。間伐された幹や枝が多く、けっこう煩わしさがあった。ただ足下には、どんどん景色が広がった。東里ヶ岳から高竜寺ヶ岳に法沢山、そして右方向には西床尾山も見えてきた。山頂も間近になってきて、やっと間伐材に煩わされなくなった。その辺りで積雪は50センチほどか。山頂に人が立っているのを見た。東床尾山と西床尾山とを結ぶ主稜線に着くと、トレースが着いていた。良く締まった雪の斜面を登って山頂に到着した。山頂では中高年の二人の登山者が、昼食をとっていた。二人が座っていたのは、廃屋跡と思われる板材の上だった。こちらもそのそばで休憩とした。昼食中に先着者が下山をすると、急に静かな山頂になった。山頂に立って改めて風景を楽しんだ。山頂はなかなかの好展望地でだった。南東から南にかけては、鉄鈷鉄に粟鹿山が見えており、北は先ほど見た高竜寺ヶ岳の尾根が更に広く眺められた。北西遠くに来日岳も。そして西には氷ノ山から妙見山、蘇武岳が遮るものも無く眺められた。少しモヤがかっていたが、悪いとまででは無かった。十分に好展望を楽しんだ。その後は西床尾山に行きたかったが、東床尾山への登りで予想以上に時間がかかったため諦めることにした。地図では西に向かって尾根上に波線路が描かれていた。これは西の奥山集落からの登山コースと思えた。その尾根道を途中まで辿って、後は桐野集落に向かえる尾根を下ることにした。その尾根に取り付くのに少し迷ったが、尾根に着いてからははっきりした小径があったので、楽に歩けた。次の605mピークが近くなったとき、標識が現れた。奥山方面と桐野方面の分岐点だった。予定では今少し西尾根を辿りたかったのだが、その標識の示す桐野方向が楽そうに見えたので、標識の示す谷の方向に向かって下ることにした。ところが数十メートルと下らないうちに道が不確かになってしまった。一時的なものだろうとかまわず滑り易い斜面を木に掴まりながら谷に向かって下った。その谷筋に下り着いてもケモノ道を見る程度で、はっきりした道には出会えなかった。仕方なく谷筋を下って行くことにした。道ははっきりしそうになると消え、時には沢が険しくなって斜面を巻くこともあった。中腹まで下りただろうか、やや平坦地が現れて再び標識を見た。その沢筋がやはりコースだったのかと、思いを新たに下って行く。はっきりとした山道も現れてこれで一安心と思いきや、沢は急に険しくなり、どうにも下れなくなった。左岸の斜面に取り付いて迂回を試みたが、急斜面となったので諦めて沢に戻った。沢筋の下りを続けるが何とも一苦労だった。一度滑りそうになったが、滑れば大けがをするところだった。今度は右岸の斜面に取り付いた。そこも急斜面だったが、何とか登り切って尾根に出た。尾根は灌木が煩わしものの、沢沿いよりはずっと楽だった。後は尾根を最後まで下って林道に合流した。林道は往路の林道に合流して駐車地点へと戻って行った。この日は往路、復路共に予想以上に苦労してしまった。
(2002/3記)(2024/9改訂) |