神崎町の中央部、播但道のそばにあってその大きな姿は実に重量感があり、気になる山だった。しかし地図には山名の記載は無く、資料を調べても確たる名は見つからなかった。そこで単に882mピークと呼んで登ることにした。神崎町内の主なる山はほぼ登っていたので、これが目立つ山の最後ではと思いながら訪れたのは2001年8月初めだった。少しモヤがかった視界ながら、青空に白い雲が浮かぶと言う、正に盛夏と言えそうな日だった。神崎町杉集落から北東に真っ直ぐ延びる林道があり、そのルートで登るつもりで向かった。ところが地図をよく見ていなかったため、結果として一つ南側の谷となる吉富集落からの林道を進んでしまった。その林道の舗装部分が終わる辺りに車を止めて歩き始めた。林道は舗装が切れた所より草茫々と言った状態で、使われていないことが分かる。林道の両側には茶畑が広がっていたが、それもすぐに終わった。林道終点からは沢沿いに小径が続いていたが、意外と早く沢が不確かになり、そこで漸く地図を見直したところ、予定のコースで無く一つ南の谷を登ってきたことに気付いた。それでも最高点方向には向かうので、そのまま登って行くことにした。道は判然とせず、灌木が茂っていてやや歩きづらい。やがて山肌が入り組んで地形のはっきりしない所に出たが、最初の目標の814mピークが見えていたので、それに向かって真っ直ぐに進む。程なく尾根がはっきりする。植林地の尾根は下草が少なく、歩き易い所もあって気楽に登って行けた。若木の植林地の所が現れ、そこからは西向かいの入炭山の尾根や生野高原が眺められた。814mピーク手前までは順調であったが、814mピークでは枯れかかったクマザサやカヤトが密生しており、俄然歩き難くなった。この辺りは雑木も少なく、強い陽射しには閉口させられた。ただ展望はそこそこあって、これから向かう二つのピークに挟まれるように高畑山が遠望された。814mピークからは数十メートル下って登り返すのだが、地図にある破線路らしきものは見当たらず、手入れの悪い植林やクマザサの中にあるケモノ道を何とか辿って行かなければならない。そのケモノ道も判然としない所があって、前週の宮中山登山に続きまたもやヤブコギ登山になってしまった。ときおりは涼やかな風が通って気分を和ませてくれたが、風が止まると急激に暑さを感じた。漸くと言った気持ちで865mピークに着く。そこはクマザサが覆っていたが、雑木も有り、
また小笹の所もあって休憩には適していた。昼食は次に向かう最高点(882mピーク)でと考えていたが、暑さに参ってきたこともあり、また昼になったことでもあり、木陰を選んで休憩とした。疲れていたのか、食事の前に眠気を催し、暫しうたた寝をしてしまった。ただこのピークは小蠅やアブが多く、長くは眠らせてくれなかった。遅めの昼食をとると14時前になっていた。このピークより次に向かう882mピークが見えていたので、それを見定めて向かって行く。865mピークからは主稜線歩きとなるが、ここも地図に示された破線路は無く、相変わらずケモノ道しか見当たらない。尾根上はクマザサや小笹が茂っていたが、東側は植林地となっており、ケモノ道も概ねササ帯に接する植林地を縫っており、多少は歩き易かった。途中、西の展望が開けて、ふもとの粟賀ゴルフ場や遠く明神山、七種山が見えていた。
鞍部を過ぎ882mピークへの登りにかかると、植林地に小径がはっきり付いており、気軽に登って行けた。一気に882mピークに辿り着く。ここはクマザサも多いが周囲を雑木に取り囲まれ、展望は全く得られない。それは小蠅が一段と多く、暫く立っていると100匹以上集まって来た。これには閉口して、すぐに退散である。帰路は865mピークとの鞍部まで戻り、そこより南西に真っ直ぐ延びる谷筋を下って行った。ここにも地図の破線路は見当たらない。沢沿いの踏み跡程度の道を伝うが、倒木や小石が多く、結構歩き難かった。中腹も過ぎて漸く山道が現れた。この下山時は気温もぐんぐん上がり、暑さにまいって来た。そこで林道と出会った所で、思わず沢に飛び込み、火照った体を暫しの間冷やすことにした。それでも駐車地点までは長い。正に炎天下と呼べる昼下がりを、ひたすら駐車地点へと戻ったが、最後はもうろう状態になってしまった。この夏一番の暑さだったか。
(追記)
その後、882mピークは地元では障子場と呼ばれていることを知った。また2014年10月には四等三角点が設置されて、山頂の標高は883.7mに変更された。
(2003/9記)(2015/12改訂)(2020/9写真改訂) |