お多福山の名の由来は、笹原の広がる風景がのっぺりとしたオタフク美人に似ているからとのことだが、位置的には六甲山頂に近い山で、いわゆる六甲山の前衛峰と言えそうだった。そのお多福山に登ろうとの関心はなかなか起きて来なかったのだが、山頂に広がる笹原の風景を色々な本や雑誌で目にしており、いずれ登ってみようとは考えていた。ただ登るとなるとこの山だけを目指す気持ちは無く、六甲山との組み合わせでとも考えていた。2004年の正月休みに入って、年末に晴れるのが30日のみと分かったとき、それなら近場で2004年の最終登山でもするかと考えた。そこで思い付いたのが六甲山だった。登るとなると12年ぶりだった。そして行きがけの駄賃にと、東お多福山登山を組み合わせることにした。
この日の朝は快晴。蒼く澄んだ空が神戸の上空に広がっていた。降り立った駅は阪急電鉄の岡本駅。陽射しは強かったが、冷たさのある風が吹いており、やや肌寒さを感じながら歩き出した。住宅地を抜けて北の方向を目指して行くと、15分ほど歩いて自然と八幡谷の入口に着いた。そこより登山道が始まっていた。年末どきで登山を楽しむ人は少ないのか、快晴にもかかわらず前後に人は見えず、鳥のさえずりのみが聞こえる静かな登りだった。六甲山系ともなれば、道もはっきりしているし道標もしっかりしているので、地図は目的地までの距離の目安程度に見るぐらいだった。暫く進むと道は谷方向と尾根方向に分かれたが、そこは打越峠に向かう尾根道を辿ることにした。上空を見ると雲が速い勢いで通り過ぎている。この日は午後から曇りの予報だったが、一部、もう北の雲が流れて来たのかもしれない。打越峠の手前で道を横池方向に折れると、漸く六甲の山並みが開けて来た。まだ青空が広くあり、午前中は持ちそうだった。横池を過ぎて六甲山のメインルートと言える魚屋道からのコースに合流すると、一気に登山者を見かけるようになった。やはり多くの人は、そちらのコースを登るようだった。その辺りから登山道にちらほら雪が見え出した。また水たまりは固く凍っていた。前後に常に人を見ながら登って行くが、下り坂となると道が凍って滑り易くなっていた。途中でゴルフ場エリアを通過し、そこより少し登って雨ヶ峠に着いた。そこは広く地表が現れているが、すっかり雪に覆われていた。但し積雪は2,3cmほどしかない。そこが六甲山と東お多福山との分岐点で、すぐに東お多福山方向に向かう。一気に登山者が減った。前方に数人を見るだけで、また静かなハイキングに戻ったと言えた。すぐに三角点(点名・雨ヶ峠)に出会い、そこを過ぎると一気に展望が広がり出した。これまで写真でしか見ていなかった東お多福山の笹原風景が広がり出したのである。一帯はなだらかそのもので、笹原の中を白い道が緩やかなまま山頂に向かっていた。人の少ないことは良いもので、歩度を緩めて周囲の風景に目を遊ばせながらゆっくりと登って行った。視界は澄んでおり、六甲の山並みがくっきりと鮮やかだった。また大阪湾の風景も見え出した。ただそちらは逆光のためにかすんだようにしか見えていなかった。雨ヶ峠から20分も歩けば、もう東お多福山山頂に着いた。一帯は広場になっており、そこも雪に覆われてすっかり白くなっていた。天ヶ峠からちょっとしたスノーハイキングをしてきたようなものである。もう昼近くになっていたが、山頂の人は6,7人ほどで、いたって静かだった。山頂に着いて東向かいの奥池辺りや、更にその東に広がる六甲山系東部の山並みも望まれた。振り返って登って来た方向を見ると、神戸の沿岸部も広がっている。目に優しげな笹原に囲まれて、明るい冬日の下で過ごす東お多福山も悪くないものだった。六甲山はハイカー以外にも車で気軽に訪れる人もあり、少しざわついた印象だが、この東お多福山はハイカーのみの世界と言えた。阪急沿線から登れば少しは歩き堪えがあり、この山だけを目指す人がいるのも頷かされることだと思えた。一休みしたところで、その笹の風景が優しい東お多福山を後にした。いよいよ六甲山頂上を目指す。北へとコースを辿り出すと、道は下り坂となり土樋割峠に下り着いた。その位置へは車道が通じており、コースそばに四駆車も見かけた。その車道に魚屋道へとつながる登山道が見えたので、それを辿って行くと、程なく魚屋道と出会った。再び魚屋道を登っていけることになった。また前後に登山者を見かけるようになった。そしてだらだらと登り坂を歩いて行くと一軒茶屋の前に出た。辺りはすっかり雪景色だった。その雪の量は5cmほどか。車道に出ると、雪の残る日にもかかわらず車の往来があった。その車道を横切って山頂を目指す。コンクリート舗装は雪で滑り易くなっていたが、頂上が近づくと展望が広がってきた。どこからもよく見えていた電波塔はNHKのもので、更に奥まで登山道が続いていた。確か前回の92年の登山では、最高点一帯はアメリカ軍の管轄域でフェンスに囲まれて入れなかったのだが、どうやら返還されたようだった。先にかつての最高点の位置に立ってみる。そこは南へと展望が開けていたが、その風景よりも近くの北斜面がすっかり霧氷に覆われているのが目を惹いた。その風景を暫く見てから山頂へと向かった。広場と呼べそうな広い山頂の北寄りに一等三角点が埋まっていた。初めて見る六甲山の三角点だった。これまでは長々と歩いて山頂まで来ても、肝心の最高点には入れないため、今一つ山頂に立った気持ちになれなかったのだが、その草地の広がる様を見て、漸く六甲山頂も悪く無い雰囲気であることを認識出来た。三角点のそばには大きな岩があったが、そこにプレートが埋め込まれており、前回登った年に返還されたことが記されていた。なおその位置からは北東方向に展望があり、北摂域の山並みが眺められた。山頂で20分ほどの時間を過ごすと、後は全山縦走路を歩いて西に向かうことにした。適当な位置から神戸市街地に下ろうとの考えだった。縦走路を歩き出すと、山かげでは10cmほどの積雪があったりして、またスノーハイクを楽しめることになった。ただ六甲山頂に来るたびに思うのだが、何度も車道と交差するので、あまり山上を縦走している気分にはなれなかった。この六甲山頂から自動車道が無くなればとどうしても思ってしまう。西お多福山との分岐点に来たとき、西お多福山にも立ち寄ってみる気になって、脇道へと入った。その辺りで5cmほどの積雪か。その下って行くときに東の方向が眺められたが、六甲の山頂こそまずまず見えたものの東お多福山は樹間を通して僅かに見えるだけだった。西お多福山は電波塔があるとあってその周りは当然のごとくフェンスに囲まれていた。そこでその辺りに展望の開けた所はないかと南側へと回ってみると、そちらには広々とした空き地があり、一面真っ白になっていた。その先には神戸市街も望まれた。空き地から今少し西お多福山のピークに近寄れそうなのでそちらへと歩き出すと、そこは荒れ地だったようで、雪を被った草ヤブに突っ込むことになって、たちまちズボンの裾が雪だらけになってしまった。すぐに退散して、西お多福山は少し離れた位置から眺めるだけにとどめた。再び縦走路に戻ったが、また何度か車道と交差することがあり、やはり山上を縦走している気分では無かった。凌雲台の園地に入ると、ちょうど閉鎖された後のようで、ひっそりとしていた。この後の下山コースは油コブシを通るコースと決めて、ちょっと退屈な車道歩きを暫く続けることになった。空には雪雲が広がっており、すっかり薄暗くなっていた。六甲ケーブルの山上駅が近づいて油コブシのコースへと入る。空の黒さは更に増しており、程なく小雪がちらつき出した。朝とはすっかり違った天気だった。いっときはそのまま降り続くのではと思われたが、長くは続かずに小止みとなり、そして元の曇り空へと戻った。もう足下には神戸の街並みがずいぶん近くなっていた。そしてこの日の登山は六甲ケーブル下駅で終わりとした。ところでその夜は神戸市内のホテルで一泊してナイトライフを楽しんだが、六甲山に登って麓の神戸で泊まるのも悪くないことだった。
(2005/1記)(2014/1改訂)(2020/9改訂2) |