2009年の7月に入って第二土曜日はいつものことながら車でハイキングに向かう予定をしていたのだが、急にパートナーに用事が出来て、しかも車を必要とすることになってしまった。そこで単独で電車沿線の山に向かおうと考えた。そして思い浮かんだのが六甲山だった。電車利用の登山となると兵庫においては六甲山は断トツに人気の山と言え、幾つものコースがあるが、まだ有馬温泉側からは登ったことが無かった。その道は魚屋道と呼ばれて古くから歩かれている道でもあり、これを機会に登ってみることにした。
神戸の空は梅雨空が広がっていたが、その色はさほど濃くは無く薄曇り程度で、どうやら雨の心配は無さそうだった。神戸電鉄の有馬温泉駅を下りたのは10時過ぎ。人も車の往来も多い駅前通りを南へと、有馬川沿いの歩道を歩いて行く。けっこう急坂で続いており、周囲はすっかり温泉街の雰囲気だった。途中で川沿いを離れてロープウェイ乗り場の案内に従って歩いて行くと、坂はきついままに温泉街は終わって、周囲は山裾の風景となった。ロープウェイ乗り場への分岐点を過ぎて更に東へと歩くと、魚屋道の登山口に着いた。その入口には石が積まれており、車が進入出来ないようになっていた。魚屋道を歩き出すと、道は緩やかで幅もあって、登山道と言うよりも遊歩道の雰囲気だった。丸太の階段道になったかと思うと、それは長く続かず再び平坦な道となった。相変わらず緩やかな道で、何とも気楽だった。次第に緑が美しくなってきた。始めは前後に人影を見ることは無かったのだが、そのうちに下山者とすれ違うようになった。射場山の横を通り過ぎると漸く展望が現れて一休みする。間近にどっしりとした山が眺められたが、山頂近くをロープウェイが通っているので湯槽谷山のようだった。その頃には遊歩道と言うよりも登山道の雰囲気に変わっていたが、易しい道には変わり無かった。ゆっくりと歩いているにもかかわらず後から追いつく人はおらず、下って来るハイカーとすれ違うだけだった。どうやら有馬側の魚屋道はその佇まいからして、登ることを楽しむコースと言うよりも楽して下れるコースの性格がありそうだった。登るほどに周囲はササの風景となってきた。そして車の通行音が聞こえるようになった。はや主稜に近づいたようだったが、程なく登山道は石畳の道に変わった。その石畳を長くも歩かず車道のそばに出た。そこは山頂まで300mの地点で、近くに何人かのハイカーが佇んでいた。どうもごくあっさりと山上に出てしまったようで、有馬側の魚屋道は六甲山を登るには物足りないぐらい簡単なコースではと思ってしまった。展望も少ないとあって、やはり下山コースとして歩くのが正解のようだった。山頂へとコンクリート舗装の道を登って行く。前をぞろぞろと子供連れのファミリーが何組か歩いていたが、2,3才の子供もおれば、何とベビーカーを押しているファミリーもいた。どうみてもハイカーとは思えず、山頂そばまで車で来たものと思われる。どうも六甲山を単なるレジャーの場と考えているようだった。数分で山頂へ。山頂は平らに広く開けているが、周囲の木立が育っており、展望は以前と比べて悪くなったようだった。三角点のそばから東の方向が少し覗いているだけだった。その山頂では草地の上で昼休みとしたが、その間、ずっと赤ん坊の泣き声が聞こえていた。三百名山の山頂としてはそうそうあることでは無いと思ってしまった。昼食後、山頂の南側にある広場に移動する。そこは山頂が米軍の管理下にあったときに暫定的に山頂とされていた所で、そのときの山頂モニュメントがまだ残されていた。そこは南から南西にかけて展望があり、凌雲台の方向こそまずまず見えていたが、阪神の街並みはモヤでほとんど判然としていなかった。この日はどうも展望を楽しむには不向きのようだった。さて下山だったが、ハイカーの多さから神戸へ向かう魚屋道を下って行くのは少し気の重いことだった。そこで少し距離は長いが、全山縦走路を歩いて宝塚駅を目指すことにした。そちらは人は少なそうだし、また登りのコースが易し過ぎたために今少し長く歩いてみたい気持ちも起こって決めたものである。その縦走路歩きは始めに車道を歩くが、今回も山頂近くを多くの車が行き交う光景を見て、何か異常な感じがした。山はあくまで自然であるべきで、この車道が無くともさほど問題は無いと思えるので、むしろ今はやりのエコのためにも無くすのが良いのではと思えた。その車道から登山道に入ると、ほっとした。後は基本的にだらだらと歩くだけだった。終始緩やかな道で、周りは笹地になることが多かった。またぬかるんでいる所が何度か現れた。やはり登山者は少ないようで、追いつく人は無く、後から追い抜く人がごくたまに現れるだけだった。その変化の少ない縦走路だったが、縦走路であることを示す標識はあるものの、現在地を示す標識を見なかった。行き先に大平山があることを示す標識はあっても、距離が書かれておらず、どうも六甲山としては少し不親切ではと思われた。その変化の少ない縦走路に変化が現れたのは車道に合流したときだった。そばに大きな電波塔が立っていたので、漸く大平山に来たようだった。大平山の三角点を覗こうと縦走コースを離れる。そして山頂への舗装路を歩いて数分で電波塔の前に出た。そのそばの高い地点へと小径を辿ると、ピークに三角点が置かれていた。これで現在地がはっきりしたことになる。その大平山からは尾根伝いの小径を歩いて縦走路に合流した。大谷乗越で車道を横切って登り返すと、次のポイントは岩倉山だった。その岩倉山へも展望の無いままになだらかな道が続くので、やはり現在地が掴みづらかった。一度すれ違う登山者から現在地のことを尋ねられたので、やはり不便に思っている人は多いのではと思われた。暫く歩いて送電塔のそばを通ったとき、漸く現在地がはっきりした。もう岩倉山は間近なはずなので左手に注意して歩いていると、近くのピークへの小径が現れた。それを辿ると数分でピークに着いた。やはり岩倉山だったようで、三角点のそばに二体の石仏が石造りの祠の中に納まっていた。ここは神域のようだった。縦走路に戻ると、下りの坂がきつくなってきた。道は花崗岩質のようで滑り易くなっており、足下に注意しながらもどんどん下って行くと、山頂を離れて2時間40分で塩屋寺に到着となった。そこには多くの登山者がおり、50リットル以上のザックばかりなのは、どうやら全山縦走路でアルプス登山の訓練をしていたようだった。なるほどこの長いだらだら道は特に厳しくも無く、長く歩く練習場所としては最適な所ではと思えた。後は車道を歩いて阪急電鉄の宝塚駅を目指すのだが、まだ暫く歩くことになりそうだと思いながら塩屋寺を後にした。
(2009/7記)(2020/9改訂) |