◆ TAJI&HM の 兵庫の山めぐり <南但馬編> ★ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
スリガ峯 (高岩峰) | 1021.9m | 朝来市・養父市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1/2.5万地図 : 大屋市場 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【1998年7月】 No.1 | 1998-38(TAJI&HM) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南西に位置する明神山より 1997 / 11 |
須留ヶ峰は東に大杉山、西にこのスリガ峯を従えて一つの山塊を作っているが、このスリガ峯は南西側となる一宮町から眺めると堂々とした独立峰の容貌をしており、登高意欲をそそられた。そこで向かったのは1998年7月中旬のこと。程良い涼しさの風が吹く日だった。 明延鉱山沿いの林道を旧鉱山方向へ南下して、旧鉱山施設手前の道そばに駐車とした。そしてスリガ峯から南西に延びる尾根の端に取り付いた。始めに植林地を無理やり登って行くと、すぐに造林用の作業道と思える細道に出会った。その小径が尾根を外れる辺りまで歩き、後はまた尾根を忠実に辿った。所々で雑木が繁っていたが、概ね登り易い尾根だった。初めは植林に覆われていたが、登るうちに落ち着いた自然林の現れることもあった。標高が800mほどになると岩尾根となった所も現れた。崩壊の危険のある箇所は柵で囲まれて立入禁止になっていた。岩尾根となって涼しい風を受けるようになり、展望も良くなってきた。西には藤無山、北向かいには和田山と大屋町の山々が一望だった。そして登るほどに氷ノ山も徐々に姿を現した。南の展望も現れて、千町ヶ峰を始め生野高原の尾根も眺められた。尾根をずっと南西から登って来たのだが、尾根は山頂手前で南東に折れた。そして最後は少しきつい登りとなったが、辺りはブナの巨木も混じった自然林が広がっており雰囲気としては悪くなかった。そして尾根端に取り付いてから2時間20分で山頂に着いた。山頂は疎らな雑木林となっており、涼しい風の通る木陰を求めて休憩とした。一息つけると辺りを探ってみた。山頂部は東西に少し長くなっており、東側に向かうと伐採地が現れて、そこはすこぶる展望が良かった。氷ノ山が大きく眺められただけでなく、東には須留ヶ峰までの尾根が一望だった。その本峰まで無理なく行けそうに見えたが、時間がかかりそうなので縦走するのは諦めることにした。それにしてもスリガ峯の展望は須留ヶ峰よりもずっと良いようだった。下山は登りの尾根とは一つ南になる尾根を下ることにした。最初は尾根道もあったが、一度広々とした展望地に出た辺りより傾斜がきつくなり、尾根筋も怪しくなって来た。とにかく無理やり下って行った。その途中に少々危ない所もあり、ヒヤリとさせられた。下り易い所を選んでいるうちに徐々に方向は西に向かい、尾根を外れて沢に下りることになった。その沢との出会う近くに底深い岩穴があり、冷蔵庫を思わせる冷たい風が吹き出ていたのが印象的だった。後は沢沿いを下って林道へと向かって行くと、林道に出る少し手前でうち捨てられた鉱山施設に出会った。それはこのスリガ峯の裾野が鉱山地域だったことを偲ばせる風景だった。 ※ この1022m峰を最初に意識したのは多田繁次氏の著作からで、その須留ヶ峰の項で地図に「南峰」の名で示されていた。そのためこのときの登山も、須留ヶ峰南峰として登っていた。その南峰に2006年になって四等三角点が設置された。そして点名は「スリガ峯」となっていた。その名がどうも気に入ってしまって、個人的にスリガ峯で呼ばせていただいている。正式名は高岩峰のようだったが、ただ点名は字名でもあるので、この呼び名でも概ね間違いでは無いと思っている。 ) (2007/6記)(2023/7写真改訂) |
<登山日> | 1998年7月18日 | 9:25駐車地点スタート/9:36山裾に取り付く/11:59〜13:58山頂/15:22沢に下りる/15:41林道出合/15:57エンド。 | |
(天気) | 晴天。やや雲が多かった。まずまずの暑さだったが、登るほどに暑さは和らいできた。尾根には涼しい風もあって助かった。山頂は程良い涼しさで、時に強い風が来ると肌寒く感じる程だった。視界は風のおかげで、夏にしてはけっこう澄んでいた。 | ||
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