黒尾山は間近に大きな山が無く、また南は全て1000m以下の山であるため、目立つ山としてはかなり上位に入ると思われる。そのどっしりとした山容に惹かれて何度か登っているが、そのたびにコースを変えていた。雪の黒尾山に登ろうと考えたのは1995年2月のことだった。パートナーが風邪でダウンしており、単独で行くことになったため、ちょっとハードな登山をすることにした。それは西側の上ノ地区から山頂を目指そうというものだった。無雪期なら大国農場から始まる林道黒尾山線の終点に駐車し、そこより30分ほどで登れると思われるが、雪のため今回のコースを考えた次第だった。
大雪が降った後とあって、上ノの集落はすっかり雪景色だった。上ノ上から東へと尾根に向かって林道が付いているので、その起点に駐車して歩き始めた。尾根越えで大国農場を目指す考えだった。空は快晴だった。林道を終点まで歩き、その先は適当に歩いて尾根越えをすることにした。その途中で異様な光景を見た。それは解体されたばかりの鹿の残骸が雪面に放置されていたもので、白い雪面が真っ赤に染まっていた。尾根を越えていざ大国農場へと下り出したとき、コースを誤ってしまい、急斜面を下ることになった。1時間半かかって大国農場に着いたところ、そこまで除雪されているのを見た。これならそこまで車を進めていたのにと思ったが、後の祭りだった。但し黒尾山林道は除雪されておらず、ただ雪面が広がるのみだった。その雪の量は10センチ程度と少なかったため、無理なく歩いて行けた。それも登るほどに少しずつ増えてきた。それを新雪を踏む楽しさを感じながら進んだ。林道終点からは登山コースを登って行く。積雪は50センチほどになっていた。林道を離れてから30分少々で山頂到着となった。山頂は周囲を木々に囲まれており、展望は良いとは言えなかった。その山頂には廃墟となった電波塔が建っていた。その上なら素晴らしい展望が得られるのにと思えるのだが、屋上に上がる手段が無かった。それでも何らかの手段はないものかと中に入ってみると、天井に屋上に上がる入口を見つけた。それを苦労して抜けて何とか屋上に出ると、そこは期待以上の360度の眺望が待っていた。まさに絶景と呼びたくなる素晴らしい眺めで、思わず感動してしまった。南の水剣山はもとより、西には日名倉山。そして後山に植松山。北には純白の氷ノ山。そして三久安山から一山、東山。他にも暁晴山など。数え切れない山々が澄んだ視界の下にくっきりと眺められた。
(2002/3記)(2011/1改訂)(2023/1写真改訂) |