旧千種町と岡山県との県境尾根にある長義山は、その立派な名前に興味を持ってはいたが、いざ登るとなると車道との標高差が100m程と少なく、この山を単独で登るには躊躇させられた。そこで駒の尾山から始めて県境尾根を縦走する形で訪れることにした。 実行したのは1996年6月の澄みきった空の日だった。千種町に入ると県道72号線を北上して西河内地区に入った。集落を抜けると県道の傾斜が増して、ちくさ高原へと近づいた。標高800m辺りまで上がると、「駒の尾山登山口」と書かれた標識が現れたので、その近くにあった駐車場に車を止めた。登山口に入ってまずは駒の尾山を目指した。登山道は展望こそ無いものの、無難に登って行けた。その道中で少しワラビを摘んだりした。県境尾根に出ると、そこからは中国自然歩道を歩くことになった。その中国自然歩道は後山から続いている道で、ダルガ峰、長義山を通って更に鳥取兵庫県境へと続く道だった。もう遊歩道感覚で歩けることになった。駒の尾山を目指すため、後山の方向となる南へと向かった。駒の尾山は県境から僅かに岡山県側に離れてはいたが、易しく歩けて駒の尾山の山頂に立った。この日は本当に視界が鮮明だった。千種町の山々を始め、遠くは生野高原、氷ノ山、そして岡山県側では那岐山を、また遙か彼方の大山までもが眺められた。今は新緑の盛りで、本当に爽やかな気分にさせられた。駒の尾山からは引き返して中国自然歩道を北へと歩いた。次のピークは大海里山だが、中国自然歩道からは少し離れていた。その大海里山に登ってみると、山頂は開けており駒の尾山以上ではと思える展望に出会った。天児屋山から植松山までのスカイラインを遮るものもなく眺められた。中国自然歩道に戻ると次はダルガ峰となるのだが、着いてみると確たるピークは無く、杉の植林に覆われたなだらかな地形だった。山とは言えず高原と呼ぶのが相応しいと思えた。その高原地帯のほぼ北端まで歩くと、そこの兵庫県側がちくさスキー場の最高点となっていたので、そこで展望を楽しみながら昼食とした。その昼食の後涼しい風に誘われるまま少しばかり昼寝を楽しんだ。そのため一時間ほどの休憩となった。地図を見ると近くの1113mピークに三角点記号が付いていたので、立ち寄ることにした。そこは高原の岡山県側としての北端の位置と言えそうだった。植林地を抜けてピークに着くと、四等三角点(点名・タタラ)を見た。またそこからは北西方向に沖ノ山が眺められた。その雄大な姿に登高意欲をそそられたが、この日は無理というもので引き返してこの日最後のピーク、長義山を目指した。 予定では県境尾根を忠実に辿って長義山に向かうつもりだったのだが、高原より北には踏み跡程度の道しか無く、適当に下ったためか地図に載っていない林道に出てしまった。北東に向かうところを北へと尾根なりに下ってしまったようだった。その岡山県側にある林道は県境尾根に平行して北に向かっていたため、林道を歩いて長義山に近づくことにした。長義山の山頂に一番近づいたと思えたとき、斜面に取り付いてヤブコギをしながら遮二無二に登った。さほど時間もかからず山頂に着くと、そこは全くの植林地で展望のかけらも無かった。がっかりすると言うよりも唖然とする思いだった。その先の峰越峠まで尾根歩きを続ける気は無くなっており、兵庫県側の県道72号線に向かって下りることにした。疎らな樹間を歩くと、あっけないほどすぐに車道に下り着いた。どうにもこうにも長義山に対する印象を受けることもなく下りてしまった。後は県道をひたすら歩いて駐車地点へと戻った。 (2002/3記)(2007/4改訂)(2022/9写真改訂) |
<登山日> | 1996年6月6日 | 9:20駒の尾山登山口スタート/ 10:24〜50駒の尾山/11:28〜44大海里山/12:05ダルガ峰/12:20〜14:00ちくさスキー場最高点/14:08〜16点名・タタラ/14:46林道出合/15: 37〜45長義山/16:23駒の尾山登山口エンド。 | |
(天気) | 朝から雲一つ無い快晴の空が広がっていた。程良い気温で風も爽やかと申し分無し。視界は十分過ぎるほどにクリアだった。昼頃は陽射しがやや強くなって気温は上がったが、爽やかさは変わり無し。下山頃に薄雲が広がり出した。 | ||
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