鳥ヶ乢峠から細尾山経由で荒尾山を目指したのは2001年12月だった。国道29号線を波賀町安賀で離れて国道429号線に入り、斉木を抜けて鳥ヶ乢峠へと近づくと、「白雲山日光寺跡」と書かれた標柱が現れた。そのそばの駐車スペースに駐車とした。予定としては鳥ヶ乢峠から旧千種町と旧波賀町を分ける旧町境尾根で登って行くことを考えていたが、駐車地点の位置から町境尾根を目指すことにした。標柱に記された寺跡への小径が見えたので、それをまず歩いて行こうと山中に向かうと、沢沿いの小径は細尾山方向には向かわず北東に向かい出したので、小径は諦めることにした。そこで北西方向に向かって植林帯の急斜面を細尾山目指して登って行くことにした。足下の土が軟らかく脆いため、滑らないようにゆっくりと登って行った。やがて小さな尾根に出て、少しは傾斜が緩くなった。植林に雑木林が混じり出して
陽射しも現れた。暫く登って旧町境尾根に合流すると、そこにははっきりとした尾根道が付いていた。合流点より一登りした所が四等三角点のある細尾山だった。山とは名ばかりで町境尾根にある単なる小ピークぐらいにしか思えなかったが、麓からは山の形に見えるのであろう。周囲は植林が取り巻き、ほとんど展望は無いと言えそうだった。唯一西の一部が開けており、そこからは日名倉山が覗いていた。その細尾山を過ぎてからは、尾根は一気に緩やかになった。下生えも少なくごく気楽に登って行けた。標高1000m辺りまでに途中二度ほど尾根の方向は変わったが、尾根の緩やかさは変わらなかった。ただ周囲の木々は松の木が多く混じる自然林が主体になって来た。山頂が近づいて来るとやや急尾根となり、木に捕まることもあった。そして荒尾山の南西にある1080mほどの小ピークに着いた。そこからは二度目のコースとなる。尾根に灌木が増え出して急に歩き難くなった。何度かその灌木を回り込んで進んで行くうちに灌木も減って、程なく荒尾山山頂に着いた。山頂は三度目だった。以前と変わらず落ち着きのある和やかな雰囲気が漂っていた。違うのは山名表示板が付けられていたことか。安堵して腰を落ち着けた。まずこの山頂で目を惹いたのは北西に対峙する植松山だった。ボリューム感たっぷりに眼前に迫っており、何度見ても飽きない眺めだった。ただ南西に植えられたヒノキが大きく育っており、以前よりは多少視界を妨げているようだった。その風景を楽しみながら昼どきを過ごした。食後は尾根を北西方向に少し進んだところにある展望地に向かった。200mも離れていないその展望地に着くと、東に向かって以前と変わらぬ展望が広がっていた。北の氷ノ山から三久安山、一山、生野高原と。その遮るものの無い展望を暫し間楽しんだ。但しこの日の視界は少々モヤがかっていたのは残念だったが。後は下山だった。下山は往路をすんなり戻って行った。その帰路の途中、細尾山に近づいた標高900mの小ピークの位置で、尾根を南に折れずに少し西に行き過ぎてしまった。その行き過ぎた辺りの樹林が少し疎らになっており、樹間を通して植松山を見上げるようにして眺めることが出来た。尾根を間違ったことに気付いて引き返し、その後は順調に下って行けた。そしてこの下山では細尾山を過ぎた所にて往路のコースへは行かず、旧町境尾根をそのまま下って行くことにした。はっきりとした尾根道が続いており、鳥ヶ乢の焼却場の音も聞こえ出した。そのまま順調に鳥ヶ乢に下り着けるものと気軽に下っていると、鳥ヶ乢が間近となって尾根がなだらかになった辺りより、道が荒れて草深くなってきた。また道も不確かになり出した。それでも無理やり尾根を辿ると最後は地肌のむき出た山肌となり、そこを下って何とか国道429号線に下り着いた。その位置から駐車地点まではおよそ500メートルほどの距離だった。
(2002/1記)(2012/5改訂)(2022/1改訂2) |