◆ TAJI&HM の 兵庫の山めぐり <西播磨編> | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カンカケ1178mピーク | 1178m | 宍粟市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1/2.5万地図 : 西河内 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【2010年6月】 No.3 | 2010-55(TAJI) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
空山の尾根より 2010 / 6 |
宍粟市の千種町は千メートルを越える山が幾つもあるので、植松山の北西近くにある1178mピークは山名も無く三角点も無いことから、あまり登山対象とは見られないようで、ホームページで紹介されることはほぼ無い山である。ただけっこう周囲の山から目に付く山で、1178mピークを中心に三つのピークが並ぶ姿は、西から見るときは植松山よりも目立っているように思われ、けっして無名のピークとして片づけられない堂々とした山である。また紅葉の季節には山肌が見事に色づいて、目を楽しませてくれるのも良かった。この三つのピークを1997年に西側から登っていたが、けっこう手応えがあった上に尾根からの展望も良く、印象は悪くなかった。この1178mピークをふとしたきっかけで再度登ることになった。 2010年5月の最終土曜日は快晴だった。澄んだ空の下、ふるさと兵庫100山に選ばれた空山の登山を楽しんだのだが、その山頂に立つ平成之大馬鹿門の前に立ったとき、この大きな石柱を他の山から眺めたくなった。そこでどの方向からなら見えるだろうかと周囲を眺めたとき、目に止まったのが1178mピークだった。この山には暫くご無沙汰していたことでもあり、登りたい気持ちはすぐに固まった。 向かったのは9日後の6月に入った最初の月曜日のこと。この日は平日とあって、通勤時間帯を避けるべく早めに自宅を離れたので、8時半には千種町に入っていた。駐車地点は三室カンカケ林道へとつながる車道の分岐点付近と考えていたが、ちょうど県道72号線を挟んで向かい側に広い空き地があったので、そこに駐車とした。車道を歩き出すと2軒の民家があり、その先のゲートを抜けて林道エリアに入った。その林道をカンカケ越の峠まで歩くつもりは無く、途中から1178mピークへと直登して行く考えだった。林道のそばを小川が流れていたが、それは高羅川と足谷川が合流した川で、その川に架かる高羅橋、足谷橋、三室橋と渡って行く。林道はひたすら緩やかに続いており、登るうちに後山がときおり眺められた。林道には道の方向が南から北へと大きくカーブする位置が何度かあるが、40分ほど歩いて三度目が現れた位置で、植林の斜面に取り付いた。山頂は東の方向なので、そちらへと適当に登って行ったが、けっこう傾斜がきついため、踏ん張っての登りだった。暫く登ると、樹林を抜けて明るい所に出た。そこは若木の植林地で、けっこう展望が利いた。後山が良く見えており、その右手には空山も見えていた。そこで山頂に眼を凝らしたのだが、どうもこの風景の中では大馬鹿門は小さ過ぎるようで、全く分からなかった。そこより今少し登ると、右手が明るくなってきた。そちらに寄ってみると、間近まで作業道が来ていた。カンカケ林道を離れた位置より分岐していた支林道がそこまで延びて来ているものと思われた。その作業道も山頂方向へと向かっていたので、作業道を歩いてみることにした。ところが少し歩くだけで右手の方向に逸れ出したので、作業道は諦めてまた左手の斜面に取り付いた。少し登ると東方向へと尾根を辿れるようになった。地図を見ると標高800m辺りを登っているようだった。程なく左手に伐採地が現れた。そこで再び足を止めて休むことにしたが、そこはけっこうイバラが混じっているため、足下に注意が必要だった。先ほどよりもずっと広く見えており、右手には竹呂山に三室山も見えていた。空山は今立つ位置よりも低く見えており、そこで大馬鹿門が分かるのではと再び目を凝らしたが、やはりどうもよく分からなかった。その先は自然林が多くなってきて落ち着きのある風景となった。木々の中は涼しく、その辺りはけっこう気楽な登りだった。そして別の尾根に合流した。東南東方向へと真っ直ぐに山頂に向かう尾根だった。合流点辺りも伐採地だったが、伐採後に長らく放置されているようで、灌木ヤブの様相になっていた。灌木としてはウリハダカエデが多いようで、かつてのクマザサは痕跡を見るだけだった。そこに来て三室山と竹呂山が並ぶ姿がいっそう良く眺められた。その手前にカンカケ峠辺りが見えており、見上げるピークは1178mピークのようだった。地図を見るとまだ標高差で250mほどありそうだった。暫くは伐採地を登るため周囲を眺められての登りだった。空山が見えることがあり、ずいぶん低い位置に見えていた。それではと山頂に眼を凝らすと、何となくありそうに思える程度だった。そこで山頂を写真に収めて、後で確認することにした。その先で伐採の風景は終わって植林帯に入った。植林帯は長くは続かず自然林も現れたが、もう展望は閉ざされたままだった。そして林道を離れてから1時間半ほどで1178mピークに到着となった。そこは雑木に囲まれて、ちょっと雑然としていた。当然展望は無し。一息入れただけで、山頂を離れて北へと尾根を辿って行く。次の目的地は次のピークである1170mピークを越した先にある展望地だった。麓からでもいかにも展望が良さそうに見える所で、伐採地なのか広い範囲で樹木が見られなかった。主尾根を歩くようになると、アセビが目立ってきた。アセビは枝を複雑に伸ばしているので、どうにも枝がじゃまだった。それを何とか避けながら歩いたが、その歩き難さにたまらず途中からは尾根を東寄りに少し下った位置を歩いて行った。それも少し歩き易くなった程度だった。少し下って登り返した所が1170mピークだった。そこも特に展望は無く、通過点の雰囲気だった。その後はカンカケ越へとずっと下りになるが、木々の空いた所から東の展望も現れて、一山や阿舎利山などが眺められた。一カ所では北に氷ノ山も覗いていた。その氷ノ山の見える位置を過ぎると、急角度で下り坂になった。そして目的の伐採地が足下に広がってきた。そこは笹地が広がっているのだが、近づくとその笹は食害によるものか、すっかり枯れようとしていた。今でこそ笹の形をとどめているが、いずれ数年と待たずに痕跡も無くなるのではと思えて、ちょっと寂しくなる光景だった。但し展望は予想通り素晴らしく、後山から三室山までがすっきりと眺められて、この日一番と思える展望だった。それを暫く眺めて過ごしていると、空模様が徐々に悪くなってきた。それまでは雲が全天を覆っていたものの山並みはすっきり見えていたのだが、高いピークにガスがかかるようになってきた。沖ノ山は見るまにガス雲に隠されてしまった。その展望地で30分ほど過ごした後、下山を始めることにした。下山は尾根を北へと引き続き下ってカンカケ越に下り、後はひたすら林道を歩く考えだった。尾根はその先もアセビがけっこう茂っており、もうヤブ尾根と呼べそうで、なかなか歩き難かった。その中の歩き易そうな所を選んで下った。カンカケ越に着いて漸くヤブ尾根が終わった思いだった。その先の林道歩きだが、緩やかなこともあってごく気楽に歩いて行けるものと思っていたのだが、15分ほど歩いた辺りから荒れ出した。土砂崩れによる災害で、始めは四駆車なら走れそうに思えたのだが、途中からは土砂が道を完全に塞いでいた。更に道自体が消えている所も現れた。その災害の復旧現場も通ったが、林道は災害を受け易く、また維持することに多大な努力が必要であることを知らされる光景だった。その林道歩きはけっこう長く、75分ほどかかって、最後の方では少々退屈するまでになっていた。漸く駐車地点に戻り着くと、それを待っていたようにぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。曇り空で視界を心配していたのだがそれは無く、登山中はまずまず展望に恵まれ、下山を終えて雨となったことで、この日の登山は何となくうまく終えられたのではと思えて帰路についた。 ところでこの山をカンカケ1178mピークとしたのには深い理由は無い。このピークについては千種町に聞いたり、また一帯が国有林であることから山崎森林管理所にも問い合わせたりしたことがあるが、よく分からなかった。そこでカンカケ越の近くにあることから、仮称としてカンカケの名を付けてピーク名としただけなのだが、正しい名を知りたいものである。 (2010/7記)(2021/10改訂) |
<登山日> | 2010年6月7日 | 8:47スタート/9:27林道を離れる/10:01〜10展望地で休憩/10:27西尾根に合流する/11:14〜22[1178m]ピーク/11:38[1170m]ピーク/11:53〜12:22尾根の展望地で休憩/12:59カンカケ越/13:49登りで林道を離れた地点//14:16エンド。 | |
(天気) | 曇り空。但し山並みは現れていた。空気は少し湿った感じだったが、涼しさがあった。朝の気温は18℃。山頂では16℃まで下がっていた。尾根に出た頃より涼しい風を受ける。午前の視界は心持ちうっすらとしている程度だったが、昼を回る雲は黒みを増してきた。そして高峰の一部は雲に隠されだした。下山を終えた頃よりぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。そのふもとに戻ってきたときの気温は19℃で、朝とほとんど変わらなかった。 | ||
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