この山を知ったのは、多田繁次氏の「兵庫の山・総集編」だが、その中の「5月初めの青ヶ丸頂上」の写真には妙に引きつけられた。その写真の青ヶ丸はまだまだ雪を残しており、北国ならともかく5月の兵庫にこのような山があることに軽い驚きを覚えた。兵庫の山にはさほど関心が無かった頃だが、その写真がいつまでも心の片隅に残っていた。兵庫の山を登り始めてからは、いつかは登ろうと決めていたのだが、それも残雪期にと考えていたので、ようやく実現したのは1994年の4月初めのこと。雲一つ無い快晴の日であった。香美町(旧・美方町)佐坊集落から始まる林道・仏ノ尾線から歩き始めた。すぐに雪が現れ、それもすぐに50cm以上となった。ザラメ雪に靴が潜り出して、ワカンを持ってこなかったことが悔やまれた。林道を数十分歩いただろうか、突然のように視界の先に真っ白な青ヶ丸が現れた。四月に純白の青ヶ丸が見られるとは思っていなかっただけに、その白さには思わず感動させられた。その青ヶ丸にどのルートで登るかだったが、コースに関する知識は全く持っていなかったため、地図から判断して山頂から東に延びる尾根を目指すことだけを決めていた。そのため林道を途中で離れ、その東尾根の北を流れる沢筋を歩いて取り付き点を探すことにした。尾根を見ると山肌の所々で雪崩の跡が見られた。沢筋は緩やかな登りのため、とりあえず沢そばを出来るだけ遡ることにした。ワカンが無いためラッセル状態が続き、けっこうくたびれたが仕方がない。やがて沢が終わりかけたため、沢を渡ってむりやり尾根へと取り付いた。渡ると言っても沢の上に積もった雪を踏んで越したのだが、その下は急流であったため、後で考えると危険なことであった。急斜面を登って尾根上に出たときは、スタートしてから3時間ほど既に経過していた。尾根は本来はネマガリダケが繁っているのであろうが、雪ですっかり隠されていた。相変わらずラッセル状態が続いたが、気分的にはもう気楽なスノーハイキングだった。ただ尾根なりに登って山頂を目指すだけである。4月に入って、氷ノ山以外で本格的な雪山歩きが出来ることにうれしくなり、疲れも忘れてひたすら山頂に向かった。そして山頂に立てたときは、スタートしてから4時間半が経過していた。その山頂には360度の素晴らしい眺望が待っていた。氷ノ山はもとより扇ノ山も仏ノ尾もまだまだ白い山肌を見せていた。東には妙見山から蘇武岳、三川山の尾根も見えている。本当に素晴らしいの一言だった。この期待以上の眺望には疲れも忘れて見入ってしまった。そして山頂に立てたことにしみじみとうれしさがこみ上げてきた。その後は昼食をとり、そして雪上にシートを敷いてごろ寝をしていたのだが、このとき間近にキツネが現れて驚かされた。向こうも人間がいたことに驚いてすぐに逃げてしまった。下山はほぼ同じコースで戻って行った。登りはラッセルで大変だったが、下りはシリセードで楽しく下ることが出来、3時間ほどでスタート点へと戻ることが出来た。
(2001/11記)(2006/6改訂)(2018/5改訂2) |