TAJIHM の 兵庫の山めぐり <西播磨編 
 
天児屋山    てんごやさん 1244.6m 宍粟市 
若桜町(鳥取県)
 
1/2.5万地図 : 西河内
 
【1995年6月】 No.1 1995-37(TAJI&HM)
【1996年5月】 No.2 1996-29(TAJI&HM)
 
    長義山より  2007 / 4

 天児屋山は鳥取県との県境尾根にあってなだらかに尾根を引いており、その優美な姿を見ると誰しも一度は登りたくなるのではなかろうか。その姿にさほど苦労せずとも登れるのではと考えて、また季節がらスズコ(ネマガリタケのタケノコ)採りも楽しもうと向かったのは1995年6月、梅雨の晴れ間の日だった。
 千種町の天児屋集落の奥から始まる天児屋林道の入口に駐車して、そこより林道を歩き始めた。まずは天児屋山と江浪峠との中間点辺りの鞍部を目指した。沢沿いの林道を暫く歩いた後、途中で中間点を目指してそちらに向かう沢へと入った。小径は見えなかったが、沢に沿って歩いていると、地図に無い林道に出会った。その林道が沢に沿っている間は林道を歩いたが、林道が沢から離れると小径は見えなかったがまた沢沿いを歩いて行った。その沢沿いが険しくなってきた位置で、北に延びる尾根に取り付いた。この尾根は傾斜はきつくは無かったが、登るにつれてネマガリダケが繁茂して来た。歩度が鈍った上に、スズコを見かけ出したのでそれを摘んだりしていると、どんどん時間だけが経っていった。そして尾根の鞍部に着いたときは、歩き始めてから3時間が経っていた。そこより天児屋山を見るとネマガリダケがびっしりと繁っており、どうみても登頂にはまだ2時間はかかりそうだった。これでは諦めざるを得ない。天児屋山に対して判断が甘かったと言うことである。登頂を諦めたもののこれからどう行動するかと考えて、尾根上にいることを幸いに、逆の西へと尾根を辿って江浪峠経由で下山することにした。1128mピークを越して江浪峠に来ると、その近くにこの日始めてと思える展望の良い場所が現れた。13時を十分に回っていたが、そこで漸く昼食とした。そこからは東山(とうせん)が間近に見えており、氷ノ山も一望だった。江浪峠からは峰越峠へと続く遊歩道を歩いて行く。この道はよく整備されており、ブナの自然林もあってなかなかのお薦めものと言えそうだった。また途中、倒木にキクラゲがいっぱい付いていたので、これを摘んだりもした。ただそのまま下山するのも寂しいと思われ、地図を見て近くに三角点(点名・江浪)のあることが分かったので、それを目指すことにした。それがこの日一番の苦労になってしまった。距離はさほどでは無かったが、道は全く無し。その山肌は低木と笹にびっしりと覆われており、歩くのに本当に難儀させられてしまった。それでも何とか三角点に辿り着くことが出来た。後は地図上の破線の道(ほとんど無くなっていたが) を辿って、天児屋集落へと戻って行った。
(2002/1記)(2008/11改訂)(2021/2改訂2)
<登山日> 1995年6月24日 10:45スタート/11:10林道を離れる/13:32〜14:15江浪峠/15:12〜22点名・江浪/17:23エンド。
(天気) 朝は薄晴れ程度だったが徐々に晴れて、午後には好天となった。但し少しモヤがかっていた。暑いことは暑かったが、ムッとくる蒸し暑さでは無く、風が来ると少しは爽やかになった。
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江浪峠に近い位
置より北に氷ノ
山を望む

江浪峠に近い位
置より北西に東
山を望む

  前年のリベンジとばかりに、1996年に入ってほぼ同じ季節に天児屋山に再チャレンジとした。コースも同じく南麓の天児屋側から目指した。前年は稜線に辿り着くのに時間がかかってしまい、登頂を諦めざるを得なかったが、今回はその教訓を生かして、出来るだけ車で近づくことにした。天児屋林道は地図には途中までしか載っていなかったため、前年は林道入口に駐車してしまったが、今回は林道をどんどん走って、山頂に一番近い辺りまで車を進めた。そこは標高1000m付近か。この日は山頂を極めることが第一目的だったが、やはり季節がらスズコ採りも少しは楽しもうと考えていた。そのスタート地点は、植林が伐採されて様変わりしていた。ほぼ真北に延びる沢を詰めて県境尾根を目指す。沢沿いの小径は踏み跡程度とも言えないほどのため、歩き易そうな所を捜しながら進んで行った。一カ所で残雪を見る。稜線が近くになるとネマガリダケが増えて来て、スズコが見つかり出した。そのスズコを採りながらとなって、やはり歩度は落ちてしまった。そして稜線に出ると、やはり1226mピーク付近からはネマガリダケのジャングルとなった。ネマガリダケの大きなものは3m以上あり、しかも密生しているため、体全体で押し除けないと進めなかった。その竹の反発力には何とも難儀させられた。ときどきは木に登って位置を確かめたが、ほとんどは地図と磁石を頼りに進まざるを得なかった。1226mピークから山頂までの距離は700m程度なのだが、結局は2時間はかかっての山頂到着だった。まさに鳥取県の東山を登ったとき以来の厳しさだったと思えた。それでもスズコ採りは続けていたが。漸く辿り着いた山頂は、展望はほとんど無し。そこで近くの木に登って何とか三室山に植松山、氷ノ山、東山と周囲の雄峰を目にすることが出来た。氷ノ山、東山には残雪が見られた。また南には大きく後山の尾根が見えていた。(この後山は尾根の途中でも時々その勇姿は目にしていたが。) 下山は同じコースを戻ることになったが、来るときよりも疲れの分だけ更なる苦しさを味わうことになった。しかも登りの時に付けた尾根の目印を見失ってしまい、磁石だけを頼りにスタート地点を目指した。もうスズコを採る気力など全く残っていなかった。しかし終わればやはり楽しかったと思ってしまった。
2002/1記)(2008/11改訂)(2021/2改訂2)
<登山日> 1996年5月25日 9:32スタート/13:49〜14:05山頂/15: 52[1226m]ピーク/17:30エンド。
(天気) 快晴。陽射しはきつかったが、湿度が低いため快適な暑さと言える。風は弱いながらもあって涼しさを感じる。ただし風が止まると少し蒸し暑さも出て来た。視界はややモヤがかっていたが、この季節としては悪い方では無かった。
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ネマガリダケをか
き分けながら山頂
に近づいた

山頂がすっきりと
見えたが、まだま
だ遠くに見えてい