礼文岳を初めて訪れたのは1993年7月中旬のこと。このときはパートナーと初めての北海道山行だったが、主目的は道央、道東の山だった。トムラウシ山こそ無難に登り終えたが、その翌日13日から天気は悪化した。ラウス岳を目指してウトロの宿に入ったのだが、上空は黒い雲に覆われ、ラウス岳はその中にすっぽりと隠されていた。天気予報を聞いて、今後晴れの望めるのは北部のみと知った。すぐに利尻山を目指そうと決断した。そして14日はノシャップ岬の宿に泊まり、15日の朝7時50分稚内港発のフェリーでまずは礼文島へと向かった。目的の利尻山は16日に丸一日かけて登る予定としたため、15日中に利尻島に着けばよく、そこで日中は礼文島で過ごそうとの考えだった。そして礼文島に行くのなら礼文岳でも登るかとも考えていた。しかし晴れの予想のわりには空はどんよりとしており、船上からは利尻も礼文も姿は見えなかった。香深港に着いたものの、島は薄暗く沈んでいるだけだった。ただなす事もなく香深港に止まっているのも考えものなので、予定通り礼文岳を目指すことにした。その決意をしたときは既にバスは出ており、仕方なくレンタサイクルを借りて、一番近い登山口のある起登臼集落に向かった。これが結構距離があり、おまけに二人乗りだったため、1時間近くはかかったかと思えた。最初からてきぱきと行動しなかったツケが回って、登山口に着いたときは11時を回っていた。パートナーはこの時間では無理と、レンタサイクルでそのままどこかにサイクリングに行ってしまったので、一人で登ることになった。起登臼コースを登り出すと、足元に起登臼の家並みが見えていた。南の海には利尻島が見えるはずだったが、ほとんどは雲に隠されていた。心の中でこのまま天気は回復に向かってもらいたいと願いつつ登って行くと、このコースはマイナーなのか両側からクマザサが被さって来た。また期待とは逆にガス帯の中に入って視界は無くなった。やみくもに1時間ばかり登ったが、次第に小雨も降り出して、帰路のバスの時間を考えると、やはり登頂は断念せざるを得なかった。やむなく引き返し、午後のバス便で香深港へと戻って行った。礼文岳については、クマザサが煩わしかったことのみの印象に終わったのは残念だった。この香深港に着いて、一騒動があった。16時台の香深港発沓形港行きのフェリーに乗る予定であったが、パートナーがその時間になっても戻ってこないのである。最終便は17時台だったが、なかなか戻ってこず、このままでは利尻島に渡れないと諦めかけたぎりぎりの時間になって漸く戻ってきた。どうやら道に迷っていたようで、二人とも散々な礼文島滞在になってしまった。何とか最終の沓形港行きのフェリーに乗り込んだ。その船上からは夕暮れの中、漸くガスの消えた利尻山が望まれた。
(2005/9記)(2012/10改訂)(2021/10写真改訂) |