稚内市へは仕事で何度か訪れたが、車で行くにしろ列車で行くにしろ、稚内が近づいて日本海に浮かぶ利尻島が見えてくると、日本の北端まで来たのかと、いつも旅愁に心が満たされた。そしていつまでもこの島を眺めて止まなかった。この利尻島を訪れたのは、1993年7月の北海道山行でのこと。当初の予定は道央、道東であったが、途中から雨模様となり、晴れの期待出来るのは北部のみとなっていた。そこで予定を変更して訪れることになったもの。行くかぎりは利尻島だけで無く礼文島も訪れようと、7月15日は礼文島行きのフェリーに乗り込んだ。晴れの予想であったが稚内から向かう空は曇り空で、礼文島も利尻島も山はガスに閉ざされていた。礼文島では礼文岳を目指したのだが、ガスは晴れそうになく、また小雨も降って来たため、途中で登頂を諦めてしまった。そして翌日の利尻山登山に期待することにした。利尻島へは最終の18時20分香深港発のフェリーに乗り、19時05分沓形着、そして沓形の旅館に荷を下ろした。翌16日は雲が多いながらも利尻山は姿を現しており、安心する。コースとしては沓形コースで登って行った。始めは強風があって登りづらかったが、三眺山を過ぎると風は弱まり楽になった。登山道は一部に崩落箇所が有ったもののさほどきつい所は無く、無難に登って行けた。そして山頂では写真の通り、まずまずの展望も得た。ただ北の方向は雲が厚く、礼文島は一部しか見えていなかった。この山頂に立って感じたことは、島の独立峰としての性格からか、周囲は総て見下ろすものばかりなので、山岳としての雄大さをさほど感じられなかったことだった。そして小振りな山に立っているような錯覚さえ覚えたのは意外だった。下山は鴛泊港への長い尾根を下って行った。長官山を過ぎた頃から天気は徐々に下り坂となり、途中からは小雨が降り出した。そして鴛泊港に着いたときは本降りの雨になっていた。その夜も前日に続いて沓形の旅館に泊まり、翌日に稚内へと帰路についた。
今振り返って思うのは、利尻山はその山頂に立つことよりも、遠くから周りの風景と一緒に眺めるのが、ずっと相応しい山ではなかったかと言うことだった。
(2002/10記)(2005/9改訂)(2019/10写真改訂) |