篭山に訪れたのは、2002年4月のこと。まだ4月の声を聞いたばかりだのにもう春爛漫の陽気で、智頭町の千代川河畔の桜は満開だった。空もすっかり春霞になっていた。登山コースについてはよく分からなかったため、山頂から南に延びる尾根を適当に登って行くことにした。篭山の南麓側となる鳥取県智頭町の惣地集落に入ると、集落を抜ける道をそのまま進んで沢沿いを走って行った。その道が林道の感じとなったとき森林組合の苗畑が現れたので、その近くの路肩に駐車してそこより歩き始めることにした。まずは林道を終点まで歩くことにした。周囲は植林帯で薄暗かった。路傍にはちらほらフキノトウが見えていた。また林道上には間伐によって切り落とされた枝がよく落ちていた。やがて林道から別の道が分岐したが、北西に向かう沢沿いの道を更に辿って行った。次第に道は荒んできて倒木も増えてきた。もう車は通れそうになかった。林道が終点となると、その先は沢沿いに山道が続いていた。そのまま歩いて行けると思っていると、山道はすぐに終わってしまった。そこで山頂から南に真っ直ぐ延びる尾根を目指して、右手の山肌に適当に取り付いた。急斜面の植林地を登って尾根に出たが、その尾根もけっこう急傾斜だった。雑木の尾根を登って行くと少し開けた所に出て、そこからは前方に山頂が見えていた。
その先より徐々にクマザサが現れた。それをかき分けながら登るようになったが、密集までとはいかないので さほど苦にせず登って行けた。また中腹辺りで傾斜が緩んできて、少しは楽になった。それが徐々にクマザサが密となってきて、易しく登るとはいかなくなった。そして山頂まで標高差にして100m程となった辺りで尾根も急傾斜となり、木に掴まりながらの登ることになった。その辺りはなかなかの厳しさだった。その急尾根を乗り越えると平坦地に出た。辺りは膝丈ほどの笹原に変わり、素晴らしい展望が広がっていた。生憎の春霞で視界はぼんやりとしていたが、南東には智頭の町並みとその背後には牛臥山が眺められた。南に見えていたのは前日に登った桜尾山の尾根だった。西も開けていたが、そちらの山並みはよく分からなかった。もう山頂までは僅かな距離だった。そこも手頃な休憩地だったが、すぐに山頂へと向かった。一度数メートル下ってから登り返した。その鞍部からの登り返しでまたクマザサが濃くなったがそれもすぐに終わり、後は灌木の中の小径を伝って山頂へと近づいた。山頂は三角点周りが草付きの開けた場所になっており、休憩には適度な場所になっていた。そこも展望は素晴らしく、北東の洗足山の山並みがまず目に入った。視界さえ良ければ更に東の県境尾根や日本海側も見えるのにと少し残念だった。まずは山頂で昼食としたが、立っていると涼しい風を受けたのに、座ると風は頭上を通り抜けるのか無風となった。まともに陽射しを受けていたので、けっこう暑さを感じた。とにかく食事は済ませたのだが、ゆっくりと憩う気になれなかった。そこで手前のピークに戻ることにした。着いてはみたものの、そこも風は頭上を通り抜ける状況は同じだった。そのとき目に付いたのが東隣の868mピークだった。そこには反射板が建っていたが、その周りは何も無くいかにも風通しが良さそうに見えた。ただそのピークまではびっしりと生えたクマザサの大海原になっていた。それでも尾根自体ははなだらかだったので、とにかく向かうことにした。尾根筋を辿ろうとしたが、やはりクマザサは密生しており、すんなりとは進めなかった。ひたすら歩き易そうな所を選んで進んで行った。中間点辺りまで来たとき、笹は膝丈ほどとなったので一安心と思ったところ、それは直ぐに終わってまたクマザサのジャングルとなった。何とか反射板が近くになったとき、漸くと言った感じで小径が現れた。またクマザサも疎らとなり、ススキなどが増えて来た。遠くからは枯れ野の草原と見えていたのがススキの原だったが、遠くから見えていたほどは優しくは無かった。反射板の建つピークに着いてみると、一帯は地表がむき出しで何も生えていなかった。そして予想通りにそこだけは涼しい風が通っていた。肌寒さを感じるほどだった。漸く着いたことにほっと
して、急に眠気が催してきた。そこで直ぐに昼寝と決めこんだ。気が付くと一時間ほどは寝ていたようだった。気分もすっきりして下山に向かうことにした。下山はその反射板のピークから南に延びる尾根を下って行くことにした。尾根には小径があり、ずっと続いていた。その尾根もクマザサの茂っていると思っていたのだがた、周囲は疎らな雑木林で気楽に下って行けた。かつてはその尾根が篭山登山のメインルートではと思えた。難なく下るうちに工事中の林道に出会った。尾根筋を寸断していたため暫く林道を下ったが、林道が尾根筋を離れ出した位置から再び尾根を辿った。尾根道は歩き易いまま続き、麓が近づくと辺りは植林の苗畑となり、そこを抜けると林道に下り立った。そこは駐車地点とは数十メートルと離れていなかった。
(2002/5記)(2016/5改訂)(2020/7改訂2) |