那岐連山の一つ、広戸仙を目指したのは、1999年1月の快晴の日のこと。始め岡山県勝北町の大吉集落からの登山道を考えていたのだが、日本原演習場内の道に入り込んだりして、登山口がどうも見つからなかった。時間ばかり経つので、最もポピュラーな声ケ乢からのコースを登ることに切り替えることにした。声ケ乢への車道を進むと、声ケ乢の少し手前に休憩舎が見えたので、そのそばに駐車とした。まずは車道を歩いて声ケ乢に着いた。そこに登山口の標識が有り、遊歩道が始まっていた。丸太を使って階段状に作られた遊歩道が、平坦部を除いて終始続いていた。良く整備されているとは言えたが、こういう道が長く続くのは、歩き難い上に登山としてはあまり楽しくなかった。コースはつづら折れになっていた。登山道には始め雪は見られなかったが、徐々に現れて来た。雲海の丘を過ぎた辺りからは、登山道は雪にほぼ隠されるようになったので、スパッツを付けた。樹林帯を抜けて稜線を歩くようになると、前方に最初のピークが見えて来た。周囲に笹が増えて来たが、遊歩道を歩くので問題は無かった。最初のピークが近づくと、前方に滝山と那岐山が連なって見えていた。那岐山の山頂は真っ白になっていた。そこまで来ると登山道は雪にすっかり覆われており、スノーハイキングの雰囲気を楽しめた。最初のピークを過ぎて次のピークで点名・爪ヶ城(1075.5m)の三等三角点を見た。山頂はその少し先にあり、もう一登りの感じで山頂に立った。山頂は狭く岩が点在しており、その岩の上からは周囲が眺め渡せた。南はモヤが強くてはっきりしていなかったが、西から北にかけての中国山地が一望だった。遠く大山の山頂部も見えていたが、雪で真っ白だった。東には滝山が大きく見えていた。トレースはこの山頂までだったが、少し先に展望の良さそうな平らな場所が見えたので、新雪を踏んでそちらに移動した。そこからは扇ノ山や氷ノ山の山頂部も眺められた。そこは僅かな風も無く、上着は要らないほどの暖かさだった。雪の上にシートを敷いて、暫しの休憩とした。下山は同じルートを戻って行ったが、声ケ乢が近くなったとき、別の遊歩道を歩いて駐車地点に戻った。この日は終日快晴だったため、下山の登山道は、朝と比べて雪はかなり減っていた。今日の登山は本当に易しかった。本日の登山者は、他に熟年夫婦を二組見ただけだった。
(2002/9記)(2010/8改訂)(2021/8写真改訂) |