2002年は11月の中旬より1ヶ月半を南九州で短期駐在することになった。基本的に週末は休みとなるので南九州の山を楽しむことにした。その最初の週末となる11月23日は初登山となるので、のんびりと楽しみたかったのだが、朝の9時までに一つ仕事を片付けることになり、午後も5時から仕事が入っていた。そのため少し気ぜわしい気持ちで向かったのは肝付山地の最高峰、甫与志岳だった。こういうときはスムーズにいかないもので、まず高山町内で少し道を迷って時間を使ってしまった。甫与志林道の起点に着くと、そこに「作業中につき入山禁止」の標識を見た。どうやら伐採木の搬出作業が行われているようだった。そうなると林道入口から歩くなることになるが、それではスケジュールに支障をきたすことになるので、作業現場手前まで車を進めることにした。林道を2kmほど走ったとき作業現場が現れると、その先は進まない方がよいと判断して、現場手前の路肩に駐車とした。作業現場の先も林道は続いており、林道歩きだった。爽やかな空気感が快かった。周囲はススキが目立ち、紅葉の木もあって秋の装いであった。上空はすっかり青空だったが、前方に見える甫与志岳山頂はガスがかかっていた。林道は10分も歩けば終点になると思っていたのだが、なかなか終わらなかった。結局20分ほど歩くことになったので、これなら終点位置まで車を進めればよかったと少し悔やまれた。林道終点から登山道が始まっていた。沢に沿って登山道は続いており、周囲は常緑樹が鬱蒼としていた。杉の木も多かった。やがて登山道は沢を横切って尾根筋に入ると、漸くはっきりと上り坂になった。前日までの雨で地面は軟らかくなっており、少々滑り易さがあった。登山口より展望は無かったが、尾根筋の登りとなっても同じで、周囲は雑木が囲んでいた。登山道の幅は狭く、一人分の幅で続いた。場所によっては低木が頭上に迫ってトンネルのようになっていた。シダが多いのも目立った。陽射しが現れたり消えたりで、明るくなったり暗くなったりした。登るうちに尾根の傾斜は増して、急坂と言えそうだった。掴まる木が多くあって助かった。そのうちに上空はガス状となった。どうやら山頂のガスは消えていないようだった。山頂に着く頃には晴れになることを期待しながら登りを続けた。山頂が近くなったとき、コースが二手に分かれた。右手に進むと岩肌現れて、岩にクサリが付いていた。それを登ると小さな祠に出て、その先は進めなかった。もう一つの道が正しいようで、引き返すことになった。薄暗い中、山頂を目指した。ガスの中は薄ら寒く、気分は滅入ってきた。程なく山頂に到着した。山頂には一等三角点(点名・甫与志岳)が鎮座しており、テーブル状の岩が広く場所を占めていた。辺りは灌木しかなく、本来なら素晴らしい展望が広がっていると思えたが、ガスが漂う山頂に展望は無かった。太陽の輪郭がうっすら見えているだけだった。とにかく晴れるのを待つのみだった。昼食をとるうちに、ときおりガスが薄れて上空に青空が現れた。また前方のガスがとれて、北の山並みや平野部が覗くことがあったが、すぐにガスが閉ざしてしまった。一時間近くいて数度そのような状態となるだけだったため、諦めて下山することにした。そのとき、はっきりとガスが消える兆候が現れた。ガスが向かってきていた南の空に青空が広がろうとしていた。暫く待つと周囲のガスが消えて、南の山並みや北の高山町がはっきり現れた。志布志湾も望めるようになった。これで気分は少しは晴れたが、すっきりとした視界では無かった。水っぽい視界で遠方はモヤが強かった。暫くすると再びガスがかかり出したのを見て、下山に移った。同じ道を辿っての下山だった。ガスが薄れたことで、山頂近くはけっこう周囲に展望があることに気付いた。やはり九州南部だけに常緑樹が濃い山肌だった。登山道を下り終えて林道に出ると、駐車地点まで林道歩きだった。振り返ると山頂がガスがかかったり薄れたりを繰り返していた。どうやら山頂にいたときに晴れたのは、一時のプレゼントだったと思えた。
(2003/1記)(2025/4写真改訂) |