その姿は姫路市の北東部、市川河畔にごく低い丘として佇んでいる。高さは100mを僅かに越えるだけで、周囲の住宅地との標高差は50mほどでしか無い。しかしこの丘がよく目立つ。播但道を北進するときは、播州北部の高峰よりも、この丘にまず目が止まってしまう。周りに山が無く、平野部にぽつんとある独立丘のためだが、森に包まれた黒々とした姿は、山上の大鳥居もアクセントとなって、その存在感は大きい。この山については幾つかの本で紹介されており、いわゆる播磨国風土記にも記された古からよく知られた山だとか、山上の甲八幡神社は豊富町地域の総氏神であるなどで、そういう歴史のことはまず心にすることだが、その山頂は現在はどのようになっているのだろうかとの興味が湧いて、一つ覗いてみることにした。2004年1月24日の午後のことで、江鮒団地を抜けて山裾へと向かった。甲八幡神社に通じる道路にすんなり出たが、そのまま神社まで車で行けば散歩にもならないので、南麓の広場に止めて、とにかく足で登ることにした。それでも3分とかからず神社に着いてしまった。その神社の裏がもう山頂である。境内とは数mしか違わないその山頂に向かってみると、そこはすっぽりとフェンスに囲まれていた。中は台形に平らに整地され、芝地になっていた。そして小さなコンクリート小屋が建っていた。それは甲山高区配水池で、立入禁止になっているのである。その台地の西寄りの法面に三角点があった。その地形を見て、元は山頂はもっとこんもりとして、110m以上はあったものと思われた。この周囲は森が囲んでおり、視界を閉ざしていた。北側へとフェンス沿いに回り込んでみると、そちらはごく普通の山の中と言った雰囲気で、少し幅の広い道が北から来ていた。山頂自体にさほど見所も無いので、すぐに八幡神社へ戻り、後は境内の前から見える姫路平野を、夕暮れの光となるまで暫く眺めていた。この後は、離れて甲山を見ようと南麓の畑地に立ったのだが、冬枯れの畑地から見える甲山は存在感が大きく、太古の昔より、麓の村人に朝な夕なに眺められていた頃を、自然と想像させられた。
(2004/1記)(2018/12写真改訂) |