書写山の南西に位置する打越は、いにしえは打越村と呼ばれていた所だが、この打越の中央が白鳥地区で、白鳥池があり白鳥山が佇んでいる。昭和30年代に写された写真を見ると、一帯は全くの田園地帯で、隣の大谷地区には牧場も有ったとか。その白鳥地区が昭和40年代の後半よりニュータウン建設が始まり、辺りはすっかり住宅地に様変わりした。そして1991年には白鳥池の南を山陽自動車道が通って、道路事情も一変した。なお、この山陽自動車道の計画時に、白鳥地区で大反対の騒動があったと記憶される。その山陽自動車道を東から来ると、書写山トンネルを過ぎた所で白鳥PAに出会うが、そのPAの真北が白鳥山になる。山頂には新しい無線中継塔が幾つか立っており、一目でそれと分かる山である。その白鳥山に2005年6月下旬の日曜日、空梅雨のため真夏のような暑さの午後に訪れた。この山に関しては「点の記」を見て、北側から小径のあることを知った。暑い中での登山でもあり、その小径を辿ることにした。白鳥山の北側に回ると、山へと向かう車道があり、その道は白鳥台三丁目の道だったが、その道の奥より小径が始まっているのを見た。そこで近くの路肩に車を止めることにした。道を歩き始めると、けっこうはっきりとした小径で、ていねいにもテープの目印も付いていた。北側から登るので少し薄暗さのある雑木道だったが、少し登っただけで尾根に出た。道そばにはシダがはびこりだしたが、緩やかな尾根で、シダの中にはっきりと小径が続いていた。ただ夏の陽射しは厳しかった。道なりに辿ると山頂手前で二つの無線中継局の前に出た。新しい中継局だけに、辺りは切り開かれており展望は良かった。南向かいは伯母山につながる尾根で、足元には山陽自動車道、そして西には白鳥台の住宅地が広がっており、その背後には峰相山につながる尾根が南北に延びていた。そこよりまだ尾根道は続いており、少し登った所が最高点で、そこに四等三角点(点名・毛野)を見た。暑い最中の登りですっかり汗をかいてしまったが、わずか10分での山頂到着だった。その近くにも無線中継局(J−フォン)があり、そのそばの広場で一休みとした。気温はと見ると32℃だったが、意外と涼しい風が吹いており、暫く佇んでいると汗を鎮めてくれた。その休憩地も展望は良く、北の方向には緑台の住宅地の先に伊勢山が大きく見えていた。それにしてもこの白鳥山の山頂に立って思ったことは、どんな低山であっても山頂に立つということはうれしいもので、しかも展望があればもう十分に登山をした気分になれるというものだった。その気分のままに同じ道を辿って下山に向かった。ちなみに白鳥山の南麓には白鳥山古墳群が有るとのことだったが、下山した後にはそれを探るだけの気持ちは残っていなかった。
(2005/7記)(2020/5改訂) |