龍野市の愛宕山は市街地の北部で目立っている揖保乃糸資料館「そうめんの里」のそばにあり、神岡町北横内集落をふところに佇んでいる山である。山頂そばには愛宕神社があり、麓からでも良く見えている。そして山頂まで立派な登山道が通じている。愛宕神社の入口に立っていた説明板によると、愛宕神社は建立時期こそよく分からないものの、京都の愛宕権現を勧請して建てられたとのこと。それが明治になって権現を廃止し、愛宕神社と名を変えてはいるが、地元では愛宕さんと呼ばれて親しまれているとのことだった。
この愛宕山の山上で朝食を食べようと、2005年7月初め、梅雨の最中に訪れた。北横内集落の西外れで県道を離れて脇道に入ると、その道は「そうめんの里」の裏側に通じており、近くに墓地を見た。その墓地の広い駐車場に駐車とした。そこは愛宕山の南西山麓になるが、山の南麓には山裾道が通じており、その道の西端には愛宕山遊歩道入口まで「340m」と標識が立っていた。その標識に従って山裾道を歩き出した。山裾はフェンスで囲まれており、一帯は竹林になっていた。山裾道を南東へと回り込んで行くとゲートがあり、太い丸太で作られた立派な登山口の標柱が立っていた。ゲートを通ると丸太の階段道が始まり、すぐに古びた東屋に着いた。そこより道は右に折れて、南東尾根へと回り、後は緩やかなつづら折れ道が山頂へと続いていた。丸太階段部もあったが、おおむね土道の登山道だった。道幅は2m以上はあって広々としており、地肌の様子からして最近になって広げられたように思えた。緩やかな登りで足に疲れを覚えないうちに山頂が近づき、鳥居が現れた。そこをくぐると愛宕神社の前に出た。その横を100mほど進んだ所が山頂だった。三等三角点のそばには立派な山名標柱が立っていた。そして展望もある山頂で南には金輪山が、南西には的場山から城山へと続く尾根が望めた。ただ残念なのはこの日の空で、梅雨時の最悪の空と言えるもので、雨粒を含んだ空気とでも表現したいような茫洋とした視界で、間近にある金輪山さえ薄ぼやけており、的場山は輪郭さえおぼつかなかった。おまけに朝から蒸し暑いときている。すぐに愛宕神社へと引き返した。山上に建つ神社だけに小ぶりな神社で、境内もこぢんまりとしていた。ここで朝食を採っていると僅かな風があり、朝からの蒸し暑さを少しは和らげてくれた。この愛宕神社の前が一番の展望地と言えそうだった。東から南にかけて広く開けており、林田川流域の山々と田園風景が広がっていた。ただここも視界の悪さに、近くの風景も薄ぼやけていた。暫しの休憩のあと下山へと向かったが、もう一度この山上に立って林田町の田園風景を眺めたいと思ったものだった。この翌日の10日も朝から薄曇り程度の空だった。ただ時おりは雲間より陽射しが現れていた。日中は小用で過ごしたのだが、夕方になって軽い散歩でもしたくなり、そこで再び愛宕山を目指すことにした。ところが16時頃までは曇り空で終始していた空が、急に黒みを増してきた。前日と同様、墓地の駐車場に車を止めたのだが、もうその頃にはぽつりと雨が降り出した。ここまで来たので登るのみ。急ぎ足で登ると、駐車地点から14分での山頂だった。登山口からなら10分と歩いていない。その短い間に、しとしと雨に変わっていた。視界はと言うと前日よりは良かったが、麓でははっきりと見えた的場山がもううっすらとしていた。それでも愛宕神社の前からは、伊勢山から峰相山、とんがり山の尾根をはっきりと望めた。ちょうど2週間前に登った白鳥山から眺めた風景を逆に見る形だった。立っているほどに雨脚が強くなってきたので、早々と下山に向かった。そして駐車地点に戻り着いたときは、本格的な雨になっていた。
(2005/7記)(2019/7写真改訂) |