1996年に発行された「姫路の山々」を改めて読み返すと、仁寿山の項に絵図があり、幾つかのコースが描かれていた。その一つの河合家墓所を通るコースを歩いてみたくなった。出かけたのは2016年11月の勤労感謝の日のこと。墓所コースの入口辺りは住宅地とあって駐車の出来そうな所は無かった。そこで登山口からは少し離れていたが、姫路バイパスの側道にあった駐車スペースに車を止め、そこから歩き出すことにした。県道402号線の東兼田バス停から500mほど離れた位置だった。仁寿山からの下山では姫路バイパスのそばに下りて来る予定だったので、駐車地点としてはむしろ適地と言えそうだった。その駐車地点から側道を西へと歩いて県道402号線に合流すると、県道を北へと歩いた。程なく道路標識に「河合家墓所」が現れると、そのそばに「仁寿山梅岡別荘」の石碑が建っていた。そこからは車が通れないほど細い道が始まっていた。東へと歩くとその細道は山裾道となったが、まだぽつぽつと民家が建っていた。その細道だが県道側から歩かずとも、姫路バイパスの側道とは何カ所かで繋がっていたので、ショートカットで来られたようだった。「仁寿山梅岡河合家墓道」の道標が現れると、舗装路は土道に変わって北へ向かうようになった。ようやく上り坂になり、数十メートル登ると河合家墓所の前に出た。河合家は姫路藩酒井家で家老職にあっただけに墓所は土塀で囲まれた立派なもので、幾つもの墓が並んでいた。また説明の立て札もあった。広い道は墓所までで、墓所の左手より里山道と言った感じで山道が続いていた。少し灌木の小枝が触れる程度で、ヤブでもなく無難に登って行けた。登るうちに周囲の木々が低くなり、背後に展望が現れるようになった。南に御旅山を、その背後は瀬戸の海だった。澄んだ視界とあって曇り空ながらくっきりと見えていた。そのうちに露岩地が現れるようになり、いっそうすっきりとした眺めになってきた。西には市川の流れがあり、その先は京見山、更に先は御津山脈だった。登山道はそのまま山頂に向かうのではなく、山頂から見ると西に位置する120mピークを通っていた。その120mピークを過ぎての下りでは、ヤブっぽくなっていた。それでも道ははっきりしていた。上り坂となり、山頂の南向かいとなる160mピークに出た。そこには電波塔が建っており、山頂に建つ二つの電波塔と対峙していた。緩く下り、そして登り返して山頂に立った。山頂では強い風があり、曇り空と相まって寒々としていた。山頂に着くまでは南や西の方向に展望があったのだが、山頂では北や東にも展望が現れて、寒さを我慢しながらその展望を楽しんだ。下山は前回2010年のときに往路として歩いた南尾根コースを下った。南尾根コースは160mピークの電波塔から始まっており、始めは細々とした道で途中では少し分かり難くなっていた。それでも展望の良い尾根だったので、尾根上に建つ送電塔を目安に下って行くと、無理なく尾根を辿れるようになった。尾根端は姫路バイパスに接しており、最後は階段を下ってバイパスのそばに下りてきた。後はバイパスの側道を歩いて駐車地点へと近づいた。
(2016/12記)(2020/6改訂) |