自宅の近所で縦走出来る所となると、京見山を中心とする尾根と、夢前川を挟んだ東岸の籾取山を中心とする尾根があるが、車を使わないとなると、京見山系の方がアプローチは易しいことになる。2010年は6月半ばから梅雨入りしたが、そうなると梅雨空の下ではあまり遠くには出かける気にならないが、第三週は土曜日が所用で出かけられず、日曜日の20日も午後の2時半になって漸く自由時間が出来た。それでも少しは運動しようと近くの山を登ることにした。ごく近所で2時間程度歩ける所と考えたとき、久々に京見山を縦走することにした。と言うよりも西蒲田山に登った後、尾根伝いで自宅まで戻ろうと考えた。西蒲田山へは南麓の西蒲田公園から登るのが簡単なので、そのルートでと決めたが、そこまでの交通手段としてバス便も利用出来るが、急な思い付きでもあり時間も無いことから、パートナーに車で送ってもらうことにした。パートナーはそのまま車で別の用事に向かうと言う。
この日の空は午前は曇りで終始していたが、午後に入ると空の黒味は増しており、ちょうど自宅を離れた頃から小雨が降り出していた。その中を西蒲田公園前から歩き始めた。このコースは尾根まで緩やかなまま登山道が続くのだが、途中からけっこうササヤブになっていた。2005年にもここを歩いていたが、状況はあまり変わらないようだった。小雨程度なので始め雨具は下だけ付けていたのだが、途中からササに付いた雨粒でシャツが濡れだしたので、上も着ることにした。尾根までは15分ほど。そこは白髪峠で、標高は60mほどとごく低い位置だった。京見山へはそこより尾根を南へと登るのだが、西蒲田山を目指すため北へと向かう。もうヤブは無く、案内のプレートも付いていて、一応登山コースの形態にはなっていた。始めにごく短い距離だが急坂があり、送電塔のそばに出た。そこは展望地だったが、展望は戻って来るときに楽しむことにして先に進む。暫くは緩やかな登り坂で、僅かだが植林地になっていた。そして西蒲田山手前でまた急坂となった。一部には露岩もあり、雨の中、滑らないように注意した。登りきった所が四等三角点(点名・西蒲田)のある西蒲田山山頂だった。そこには「北山」の名の山名プレートが付いていた。以前は見なかったもので、地元の呼び名の一つかもしれない。その三角点ピークは木々に囲まれて展望が無いので、東に少し下った位置にあるマイクロウェーブ反射板のそばに向かった。そこからは少し展望があり、夢前川沿いの風景や対岸の苫編山から籾取山に続く尾根が眺められた。このとき雨脚が強くなったので、少し大ぶりの木の下で雨宿りとした。気温は25℃と高くも無く、リラックスした気持ちで対岸の籾取山を眺めていた。小雨になったのを見て尾根歩きの開始とした。白髪峠までは歩いてきた道を引き返すことになる。その途中の送電塔が建つ位置で足を止めた。そこがこの尾根ではちょっとした展望地になっており、西蒲田山を含めて東の風景が広く眺められた。白髪峠からは、まずは蒲田城跡へと登り返す。少し傾斜があるものの80mも登れば、平坦な所に出た。その辺りが蒲田城跡となり、南の一角に城跡を示す標柱が立っていた。そこを過ぎると展望の露岩地があり、白毛山がだいぶ近くに眺められた。そこからがこの尾根では険しいと言える所で、60mほど下って鞍部(まさき峠)に着き、そこより100mほどを急坂で登り返す。しかも草が茂ってヤブ状になっていた。蒸し暑い中ではなかなかの厳しさだった。また雨は小止みになっていたのだが、草の露や木から落ちてくる滴で、雨の中を登っているのと変わらなかった。白毛山の山頂が目前となったとき、車道に合流した。山頂まで100m程度と思える位置で、その車道を歩いて白毛山の山頂に立った。もうそこからは何の心配も無いごく気楽なハイキングコースで、いつもの散歩コースのエリアである。ただのんびりと歩くだけだったが、時計は17時半を過ぎており、曇り空とあってもう夕方の薄暗い雰囲気になっていた。そのためのんびりといった気持ちにはなれず、少し急ぐ気持ちで京見山へと歩いて行った。もういつもの散歩コースなので、この先の登山の状況は割愛するが、それにしてもここまで誰に会うこともなかった。またその先の下山までも同様だった。いくら低山で市街地に近い山と言えども、小雨に降る中でヤブのあるコース歩く物好きはいないようだった。
ところで、この西蒲田山の山頂に「北山」の名で山名プレートが付いていたことについて、少し調べてみた。1994年に麓の八幡小学校から創立100周年記念誌「やわた」が出版されているが、そこにこの尾根の古い呼び名が付いていた。この西蒲田山と呼んでいる178mピークには「ながたん山」と、そして北東側となる一つ隣の148mピークを「北山」としていた。これからすると、正しくは「ながたん山」と呼ぶべきかも知れないが、山名プレートが付けられれば、北山と呼ばれ出すのかも知れない。ただこのような里山は地元ごとに呼び名が違う場合があるので、何が正しいと言えるものでもないように思われた。
(2010/7記)(2020/9改訂)(2023/2写真改訂) |