久々に坂越浦の後背丘陵を歩こうと向かったのは、2024年の新年を迎えた8日目のこと。この日の天気予報は曇り空だったが、朝のうちは晴れとなっていた。坂越の観光駐車場に9時50分に着くと、止まっている車はまだ少なくスムーズに駐車出来た。天気予報通り朝の空は快晴だった。静かな通りを歩いて、まずは大避神社に向かった。社務所は開いており神官の姿を見た。神社にお詣りすると、少し戻って茶臼山に通じる車道に入った。少し登ると、展望台にもなっている公園が現れた。その入口に数台の車が止まっていたが、立て札には駐車禁止と書かれていた。公園からは坂越浦と坂越の町並みが一望出来た。車道歩きに戻って、緩やかな坂道を登って行く。その途中で妙見寺への道が分かれた。近くに妙見寺が見えており、風格のある寺だった。車道からは宝珠山に通じる小径や奥の院への小径が分かれたが、茶臼山を目指してずっと車道を歩いた。簡易舗装された車道で、周囲の常緑樹林には落ち着きが感じられて、雰囲気は悪くなかった。ときおり展望も現れて、坂越浦が眺められた。車道の終点が茶臼山で、小さな広場になっていた。茶臼山の最高点は車道より一段高くなっており、そこに遠くからも目立っている無線塔が建っていた。山頂は好展望地で、南の坂越浦だけでなく西も開けており、赤穂市街が眺められた。その茶臼山を離れていよいよ後背丘陵の縦走に入ろうとしたとき、北から急速に雲が広がってきた。天気予報通り曇り空に変わるようだった。茶臼山の山頂から少し戻った位置が縦走路の起点で、はっきりとした山道だった。始めは大谷山との鞍部へと下って行く。道幅は十分な上に緩やかとあって、易しく歩いて行けた。鞍部に着いて緩やかに登り返す。この経路は八十八ヵ所巡りになっているのか、点々と石仏を見た。曇り空となったため少し薄暗さのある尾根歩きだったが、風はほとんど無かったため冬にしては穏やかさのある尾根歩きだった。茶臼山から宝珠山まで10分だった。宝珠山は木々に囲まれており、石仏がぽつんと置かれていた。すぐに次の大谷山に向かった。概ね緩やかな上り坂だった。常緑樹林の尾根は落ち着きがあって、雰囲気は良かった。うっすら陽射しの現れることもあった。ごく易しく歩けて大谷山の山頂に着いた。平坦な上に樹林が囲んでおり展望は無かった。その大谷山の山頂で目にしたのは大谷山の名と共に「坪江山」の名だった。大谷山は「花と緑の山歩道」で知った名だが、地元の坪江集落では坪江山と呼んでいるのかも知れなかった。大谷山で憩うことはせず、すぐに縦走の続きに入った。その頃には尾根の北側はIHIの敷地のようで、立入禁止の標識を見るようになった。次のピークは208mピークで、前方に見える208mピークのそばで送電塔が目立っていた。100mほど下って50mの登り返しだった。ずっと曇り空の下での尾根歩きかと思っていたのだが、208mピークが近づいたとき青空が広がってきた。208mピークに着いたときは12時が近くなっていたので、ピークの岩場で昼休憩とした。送電塔は北面側の少し下った位置に建っており、昼食を済ませると立ち寄ってみた。送電塔(相生火力線3番)のそばからは、北西間近に高伏山が眺められた。また北麓はIHIの工場だった。その頃にはすっかり青空になっており、明るい風景だった。208mピークは南側にも少し展望があり、坂越浦の風景を改めて楽しんだ。そのうちに上空は再び雲が増えてきた。それを見て尾根歩きを再開する。その辺りから北側の敷地はIHIから関西電力に替わっていた。次の190mピークに立つ頃には、上空はすっかり曇り空に戻ってしまった。190mピークを越すと、やや急坂の下りが続いた。足下に注意しながら鞍部まで100mほど下ると、尾根の道は終わって登山道は南麓の小島集落に向かい出した。地図では破線の道が尾根筋に続いていたが、それらしき小径は見えなかった。この日は次の三角点ピークにも立つ予定だったので、尾根歩きを続けることにした。尾根に沿って続く関西電力のフェンス沿いは枯れ笹のヤブになっていた。かまわずその笹ヤブに入ると、すぐに笹ヤブは終わってスムーズに歩けるようになった。但し尾根道は無かった。その道の無い尾根筋を登って118mピークに着いた。そこは草地として平らに開けていたが肝心の三角点が見当たらなかった。これはおかしいと注意深く辺りを眺めると、小石にしか見えない四等三角点(点名・小島)を見た。痛々しいほど削られて何とも哀れな姿だった。三角点を確認した後は、尾根なりに南東方向へと下って行った。相変わらず小径は見なかった。麓が近づくと小ぶりの神社が現れた。金刀比羅神社だった。そこより石段を下って、県道458号線に出た。そこはほぼ相生市と赤穂市の境となる位置だった。後は今立っている坂越浦の東端の位置より駐車場がある西端の位置まで県道沿いを歩く訳だが、3km近い距離があった。ただ車道上を歩くことは少なく、歩道を歩いたり防波堤を歩いたりで車を気にすることは少なかった。風景も始めは鍋島を間近に見てで、途中からは生島を見るようになり、また尾崎遊歩道の尾根も眺められて変化があった。それでも駐車場に着くまで1時間近くがかかっていた
(2024/2記) |