家島諸島で定期船があるのは男鹿島、家島、坊勢島、西島の四島だが、それぞれの島をハイキングしたいと考えて、西島、家島、坊勢島の順で歩いていた。残るは男鹿島だったが、島はほぼ総てで採石が行われており、日々姿を変えていると言っても過言ではなかった。そのため島の情報は古いものは参考にならず、また島の情報自体が少なかった。そこでまっさらな気持ちで男鹿島を訪れようと考えた。最大の情報源は国土地理院の2万5千分の一地図なのだが、本当に姿は大きく変わっているようで、持っていた平成11年測量の「真浦」を見ると、男鹿島の最高点は220mとなっているのに、インターネットで手に入れた最新の地図を見ると、その辺りはきれいに採石で崩されているようだった。そして現在は等高線で190mまでが示されているので、そこが最高点のようだった。その最高点までは何となく道路があるようなので、そこに立つことを第一の目的に訪れることにした。また別の情報源として姫路市の男鹿島関連のホームページを見ると、山上の平らな所は大山と呼んでいるようだった。また島の南側には男鹿島灯台と大山神社があるようなので、時間があればそこにも足を延ばそうと考えた。 向かったのは坊勢島ハイキングから3年後の2016年1月の第三土曜日で、空は朝からすっきりと晴れていた。車をいつもの通り港から少し離れた第3駐車場(1日500円)に止めると、そこから10分で姫路ポートセンタービルに着いた。男鹿島へは坊勢汽船の10時5分発を目指していたが、姫路ポートセンタービルに着いたときは9時55分だったので、船はもう着いており乗客も既に乗っていた。男鹿島までの切符は往復2100円で、それを自動券売機で購入するとすぐにクイーン坊勢号に乗り込んだ。船は男鹿島と坊勢島の二島に行くのだが、男鹿島までは23分となっていた。そのクイーン坊勢号の良いところはデッキに立てることで、船室に入らずデッキに立ってセンタービルが離れていく様を眺めていた。この日は暖かいようで、デッキに立っていてもさほど寒くはなかったので、陸地を離れてからもデッキにおり、次第に山並みが広く見えてくるのを眺めていた。京見山に広嶺山、そして御津山脈に新龍アルプスと見えてきた。更にごくうっすらとながら黒尾山も眺められたので、この日の視界は悪くないようだった。男鹿島が近づくと今度はそちらに目を向けて、島がどんどん大きくなってくるのを眺めていた。男鹿島の汽船乗り場に着いたのは、時刻表より少し遅れて10時半過ぎ。魚釣りでは来たことはあるが、何十年ぶりかの男鹿島訪問だった。降りたのは数人のみで、まずは海岸道路を東へと右回りで歩き始めた。すぐに目に入ったのが港に駐車している車で、ナンバープレートの無いものが多かった。また車は見るもののバイクをほとんど見ないのは、他の島とは違うようだった。港の近くには数軒の宿と民家があり、その前を通り過ぎると淡賀楯楯崎鹿公園が現れた。その名の通りに鹿の檻があり、その中で10頭ほどの鹿がおとなしくしていた。牡鹿、雌鹿に子鹿も混じっていた。そのそばには東屋が建っており、そこからは播州沿岸が良く見えていたので、いっとき休憩とした。その後は暫く海岸道路歩きを続けた。ぽつりぽつりと民家を見たが、今も住んでいるのかはよく分からなかった。そろそろ青井地区が近づいたと思われたとき、「立入禁止」の標識が現れた。青井地区に行くにはその先へと進まなければならないので、戸惑いながらも先へと歩いた。後で考えると採石に関する場所への立入禁止のようだった。港が見えてくると、その辺りが青井地区だった。集落に入ると民宿も建っていたが、なぜか人影は無かった。代わりに猫をよく見た。その青井の集落を抜けた先で山上へと通じる道に入るのだが、少し進むと辺りはすっかり採石場の風景になってきた。そして「立入禁止」を見るようになった。車道は幾つかに分岐していたが、そのうちの山に向かえそうな道に入ろうとしたとき、近くにいた採石会社の人に呼び止められた。海岸道路に向かえる道を教えられたが、正直に島で一番高い所に行きたいと言うと、あっさりOKとなった。そこでそのまま山上に向かう道を進んで行ったのだが、まさに採石場のど真ん中にいる雰囲気となってきた。間近には大きく削られた岩壁があり、道は大型重機が余裕で通れる幅があった。その道を重機がどんどん走っていると言うようなことは無く、遠くの方でショベルカーを一台見る程度だったので、けっこう静かな登りだった。それにしても採石で削られた山の姿は何とも迫力のあるもので、一つの壮大なオブジェを見る思いだった。それがいずれは消えてしまうことが、ちょっと信じられなかった。またその採石風景と後方に見える青い海とが好対照だった。坂道を登り詰めると、その辺りで中腹なのだが、広場のような所で広い道は終わってしまった。地図ではその先も道は続いていたので改めて辺りを眺めると、右手に細い道が始まっていた。そちらは車一台分の道幅だったが、もう使われていないようで、廃道のような感じになっていた。それでも最高点まで行けそうと分かって一安心となった。緩やかな道で、西の方向へと向かった。そのうちに道はずっと細くなり、登山道のようになったので、ようやくハイキングの雰囲気が出てきた。辺りの高木は少なくウバメガシやクロマツをよく見かけたので、やはり島の山と言えそうだった。ごく緩やかな登りが続いて一番高いと思われる所に着くとその一帯は低木が広がり、ほぼ同じ高さになっていた。そのためあまりピークに着いた感じは無かった。また展望は悪かった。そこで道のままに更に西へと歩いて行くことにした。緩やかな下り坂となり、木々は減って周辺を眺められるようになった。広く裸地になって広場のような所が現れると、そこからは南に光る海が眺められた。そこが休憩に適していたので昼休憩をすることにした。風は無く陽射しをいっぱい受けたので、十分な暖かさがあった。西はどうなっているかと思い、ヤブをかき分けてみると、すぐ近くで断崖になっていた。足先はまさに垂直の壁で、採石場が足下に広がっていた。展望は良かったが、足のすくむ思いだった。山道は広場で終わらず北へと続いていたので、昼食を済ませると今少しそちらに歩いてみることにした。緩く下って緩く登り返すと、前方が明るくなった。その明るくなった所で道は終わっていた。終わっていたと言うよりも、すっぱりと無かった。その先は採石で総て無くなっており、足下から垂直の崖になっていた。よく見ると立っている位置にはひび割れも見られたので、超の付く危険度があった。その危険な所からは家島諸島で随一と言っても良さそうな美しい景色が広がっていた。青い海に浮かぶのは小豆島に家島、西島、そして小さな島々で、北西には陸地も見えており、素晴らしいの一言だった。この風景に出会えたことだけでも、男鹿島に来た価値は十分にあったと思えた。これで山上については満足の思いとなり、引き返すことにしたが、まだ時計を見ると13時を過ぎたばかりだったので、島の南側まで歩くことにした。麓まで歩いてきたコースを引き返すと、海岸道路に向かって東へと歩いた。海岸道路に出ると南へと歩いて行く。右手には採石で削られた山肌の風景で、左手は青い海に小さな島が点在していた。また手つかずの砂浜もあれば岩礁地帯もあって、風景には飽きなかった。但しどの島でも言えることだが、漂着物が多くあり、それが目障りだった。南側に回って来ると、そこにも採石場があり、その中を抜けることになった。もう田ノ浜地区は近くなったのだが、海岸沿いでは近づけず、目の前に立ちはだかる尾根を越す必要があった。尾根越えには一度山側に向かって登ることになり、けっこう遠回りすることになった。尾根上には男鹿島灯台が見えていた。尾根までは50mほど登ったので、ちょっとしたアルバイトだった。そして下り坂に入ったとき、男鹿島灯台を過ぎていることに気付いた。尾根を越すことに気をとられてしまい、分岐点を見落としたようだった。再び海岸道路に出ると西へと歩いた。長くも歩かず右手に車道が分かれたので、そちらに入った。山の方向に暫くあるくものと思っていると、すぐにまた右手に道が分かれた。その先に見えていたのが大山神社だった。島の神社だけにごく小さい神社で、かつては山上にあったものをこの地に移したものだった。その大山神社を見たことで、島歩きはそこまでとして引き返すことにした。海岸道路に出ると、前方に男鹿島灯台が見えていた。再び尾根を越すのだが、尾根のピークまで来たとき、そこから灯台への小径が分かれていた。やはり見過ごしていたようだった。少しヤブっぽい道だったが、進むほどに歩きや易くなり、無難に灯台の前に出た。周囲は木々が取り囲んでいたため、展望はほとんど無かった。灯台を見上げただけで、すぐに引き返した。尾根を離れて海岸道路まで下りて来ると、また美しい海岸線と海に浮かぶ島を眺めながら歩いた。採石場を通り抜け、青井地区を通り抜けて汽船乗り場に戻ってきたときは16時になっていた。予定の船は16時09分発だったので、目一杯ハイキングをしていたことになる。そしてクイーン坊勢号に乗ると、往路と同じく船上から見える風景を楽しんだ。
(2016/3記)(2020/5改訂) |