TAJIHM の 兵庫の山めぐり <中播磨
 
庄山    しょうやま 193.7m 姫路市
1/2.5万地図 : 姫路北部
 
【2003年11月】 No.1 2003-93(TAJI&HM)
 
    南方の天川河畔より  2003 / 11

 2号線バイパスから播但連絡道路に入り、北へと向かって行くと、花田ICが近づいた頃に北に台形をした山が見えて来る。それが庄山で、山頂部は東西に400mほどの長さがある。この山は姫路史では重要な山で、中世に庄山城が築城されて姫路城と密接な関係があったとか。地図を見るとなるほど山城が築城されるだけの重要な位置にあった。南には有馬道、丹波道が走り、西は但馬道が走る。西国街道も近い。今も真北を播但連絡道と山陽自動車道が交差している。その庄山を初めて登ったのは2003年11月の末日のこと。このような歴史のある山の城跡でも探ろうという趣味では無く、単に午後の時間だけでも登れる山として、それも散歩程度ではなく少しは登山をしたと感じられる感じられる山として選んだものだった。ただ以前からいつかは登ろうとは考えてはいた。いざ登るとなると、初めての山だけにどこから登ろうかと考え、まずは三角点のピークから真南に延びる尾根を辿ることにした。南西麓にある大歳神社に入ると、その裏に山裾道が見えたのでそれを辿ってった。山裾には小さな畑が並んでいた。道は考えたとおり南尾根まで続いており、尾根端の墓地へ入ると、その奧より期待した小径が始まっていた。少々荒れ気味の道だったが、点々と目印も付いていた。そのまま尾根を辿って行けると考えていると、やや傾斜がきつくなり出した位置で不確かになってしまった。そしてシダヤブがその先に広がっていた。どこかに小径が続いていたのかもしれなかったが、中腹より上は大した樹木は見られなかったので、そのシダヤブに突っ込むことにした。ヤブは意外と短く、数十メートルももがくと抜け出した。その先の雑木林も抜けると一気に展望が良くなった。麓から見えていた通り低木ばかりで、振り返ると平野部が広々と眺められた。どうやら一帯は過去に山火事でも有ったのかもしれなかった。もう気楽なもので、どんどん登って行った。暖かい日が続いていることでか、ツツジの木はちらほら花を付けていた。狂い咲きのようである。尾根に取り付いてから30分ほどで山頂に着いた。途中の展望が良かっただけに山頂もと考えていたが、山頂は雑木が取り巻いて展望は悪いと言えた。かろうじて下の写真の通り、北の風景や東の風景が雑木の切れ目から見える程度で、広々とはいかなかった。その山頂を今少し東へと散策することも考えていたが、そちらは藪っぽくなっており、少し歩くとイバラも繁り出したので止めることにした。もう時間も15時を回っていることでもあり、下山とする。下山は登ってきた尾根の一つ西の尾根を下ることにした。そちらの尾根にも小径があり、目印も付いていた。その尾根も低木だけで展望が良かった。数十メートル下って尾根が少し平坦になると、その辺りの展望が特に良く、東の高山、高御位山辺りから南西の平野部まで眺望が広がっていた。この日は曇りがちで薄暗い日だったが、夕方が近づいて漸く青空が現れ出しており、ときおり雲間から陽射しが漏れてその光が山肌を照らすと、その時は実に鮮やかな風景となった。ところで小径は途中で見失いがちになりながらもずっと続き、最後は大歳神社に近い位置に下り着いた。こちらの尾根の方がずっと登り易いようだった。但し、登り口はちょっと分かりづらいが。
(2003/12記)(2012/9改訂)(2021/4改訂2)
<登山日> 2003年11月30日 14:00スタート/14:12墓地から登り始める/14:48〜15:08三角点ピーク/15:48小径に合流/15:54エンド。
(天気) 雨の心配はなかったが、圧く雲が空を覆っていた。ただ西の空には青空が覗いていた。変に生暖かい日で、湿度は高かった。山頂に出た頃より、ときおり雲間より陽射しが漏れて来た。その陽が山肌を鮮やかに見せてくれた。視界は澄んでいる。
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南西麓にある大歳神社の裏の道を歩き始めた 三角点の周りは開けていたが、周囲の雑木が視
界を遮っていた
山頂より北に進むと、木立を通して北東に山崎
建設の採石工場が見えていた
山頂の北の位置からは、間近に山陽自動車道の姫路東インターが見えていた 三角点の近くからは東に展望があり
上の写真に写る新龍アルプスを大きく見る 上の写真に写る桶居山の尾根を大きく見る
一つ西の尾根で下山としたが、好展望地が現れた 尾根からの展望を楽しんだ 雲間から漏れた陽射しが桶居山を鮮やかに見せていた
南の方向も広々と眺められた 瀬戸の島を見る