北山を再訪したのは、初めて訪れた1996年1月からは10年後となる2006年3月のことだった。この日は別の山を予定していたのだが、朝、家を出るとき、車のエンジンがかからないという突発事故が発生した。結局はバッテリー切れだったのだが、その修理などで午前がつぶれてしまった。そこで観梅の季節でもあり、近くの山で梅を見ようと考えて岩見梅林周辺のハイキングを思い付いた。そして考えたのがX山(岩見梅林の西にある175mピーク)から岩見梅林を通り、北山へと向かうルートだった。
この日の姫路は朝からすっぽりと霧に包まれていた。すぐに消えるものと思っていたのだが、昼となっても霧は濃く、晴れ間は現れて来なかった。その霧の漂う中、御津山脈へと向かった。御津山脈へは揖保川町側から近づき、岩見坂に近い御津グラウンドのそばに駐車とした。そして岩見坂へと歩き始めた。岩見坂を峠の位置まで登るとX山登山口へと入った。その登山道は急坂で始まっていたが、その登りで、霧が絶えず瀬戸内側から流れて来ているのが分かった。霧には冷たさがあったので、気温を見ると10℃までしかなかった。展望の無いままにX山山頂に着いた。そこは三角点も無く、単に一番高い位置と思える所を山頂と考えるだけである。この日のように霧で視界が無いときは立ち止まる理由も無いので、そのまま通過する。X山からは緩い下りで、岩見梅林へと近づいた。少し霧が薄れて来たようで、梅林一帯が眺められた。その梅林には全く人影は無かった。少し不思議に思ったが、梅林に入るとほとんど咲いていないことが分かった。どう見ても三分咲きまでで全く花を付けていない木も多く見かけられた。寒かった冬の影響で、梅の開花もずいぶん遅れているようだった。これでは観梅にならないと思いながら少し遅い昼食を手早く済ませると、ハイキングの続きを始めた。梅林を離れて竹林の中へと入って行く。竹林を過ぎると次のピークは稲富山なのだが、このピークは木々に囲まれて薄暗く、単なる通過点の雰囲気だった。そこからは東へと尾根を辿らず、北山がある北の方向に向かった。登山道も自然と北山に向かっていた。漸く霧が薄らいで来たようで、辺りも明るくなってきた。そして北山との鞍部に下り出したとき、北山をすっきりと眺められるポイントが現れた。北山は見る角度によって様々な姿を見せてくれるが、稲富山から向かうときに見える姿が一番ではと思えた。その良く見えるポイントには「御津富士」の札も付けられて、なるほどちょっと富士と呼べそうな端正な姿で眺められた。鞍部に着くと、そこは十字路になっており、東は碇岩集落へ、西はタキロンの揖保川工場への小径が続いていた。まずは北山へと登り返す。けっこう急坂になっており、ロープも付けられていた。このときパートナーが足を滑らせて、1mほどずり落ちてしまった。そしてヒザに大きな擦り傷を作ってしまった。この上り坂は鞍部に近い所こそ濃い雑木林だったが、登るほどに木々は疎らになり、また露岩地も現れて展望が良くなって来た。霧もほぼ消えて周囲の風景が姿を見せてきた。但しすっきとした天気とはいかず、春霞なのか薄ぼんやりとした風景だった。風景が黄色味を帯びており、太陽も輪郭を弱々しく見せていた。黄砂も混じっているようだった。急坂は程良い上り坂に変わっており、柔らかい陽射しに少しは汗ばんで来た。そして鞍部から15分ほどの登りで山頂に着いた。灌木程度の木々が生える山頂は10年ぶりだったが、少しは記憶に残っていた。その記憶と比較すると、この10年での樹木の生長のためか、少し展望が悪くなっているように思えた。まずは南面側の陽当たりの良い所で一休みとした。そこは展望があり、薄ぼんやりとはしていたが御津山脈が眺められた。ところでこの北山の山頂からハイキング道は更に東の権現山へと続いているので、一息ついたところで少しそちら側に歩いてみることにした。すると数十メートルも歩かないうちに、東に向かって大きく展望が開けた。そこに見えたのは揖保川の東に広がる平野部の風景だった。それも黄砂の視界とあって、一番近い立岡山でも薄ぼんやりとしか見えず遠くの山はモヤの中だった。30分ばかりを山頂で過ごして下山とする。下山は登って来た北山の南面コースを鞍部まで戻り、鞍部からは西へと谷あいの道を辿った。ほとんど平坦と言ってよいほどの緩い下り坂が真っ直ぐに続いていた。ただ良く踏まれている道とは言えず、少し荒れ気味の道だった。その道はタキロンの工場のそばで車道に合流した。後は農道を辿って、駐車地点へと戻って行った。
(2006/5記)(2016/8改訂)(2023/5写真改訂) |