たつの市の沿岸部は旧御津町のエリアだが、海岸に迫る山並みは御津山脈と呼ばれている。その東西に長い山脈の東部にあって端正な姿で目を惹くのが北山だった。その姿から御津富士と呼ばれたり、碇岩北山と呼ばれたりしているようだった。伝城山の名を見たこともある。その北山を地図で見ると、北麓の加茂神社から破線で描かれた道が山頂まで続いている。それを見て簡単に山頂に立てるだろうと向かったのは1996年1月のことだった。中間ピークの傳臺山までは遊歩道と呼べそうな易しい道があって、これは山頂まで楽かと思っていたところ、その先の鞍部から厳しいヤブになってしまい、えらく苦労して山頂に立つことになった。その後は御津山脈縦走路を歩く形で南から登ったりもしたが、再び北からのコースを歩いてみたくなった。2016年7月下旬のことで、漸く梅雨が明けた直後の日曜日だった。ヤブが予想されたため、この日は単独で向かった。車は加茂神社の前に止めて、まずは加茂神社の前に立った。そして神社の左手から始まる登山道に入った。幅広の登山道で、尾根に出ると階段道があり、そこに「傳臺山城址登山口」の標識を見た。階段は急斜面にだけ付いており、一度尾根はなだらかになると普通の土道となった。その先で再び階段が現れ、それを登りきった所が129mピークで、傳臺山城趾だった。はっきりとした道があったのはそこまでで、その先は鞍部へと下るのだが、か細い道となり目印テープを追って歩くことになった。シダの茂った所も現れたが、それでも以前の印象と比べると少しは歩き易くなったようで、無理なく鞍部へと下りてきた。そして登り返すが、次第にヤブっぽくなってきた。忠実に目印テープを追わないと、すぐにシダヤブに突っ込みそうになった。そのテープを追っていても、ほぼヤブコギと言えそうな所もあった。ほぼ尾根筋を辿っていたため小さなピークを越すことになり、そこは展望があって北や西の方向が眺められた。その小ピークから先は道がはっきりしてきたが、少し傾斜がきつくなってきた。そこを喘ぐようにして登りきると、もう山頂のそばで縦走コースに合流した10年ぶりに山頂に立つと、少し木が茂ってきていたが、以前と同様に東から南にかけてのの風景が眺められた。山頂は陽射しを受けることになったため、すぐに山頂を離れて合流点近くの木陰に移動して一休みとした。ごく低山と言えども気温は30℃になっており、少しバテ気味になっていたため、暫し体を横たえて体力の回復を待った。山頂に立っただけで十分の思いとなり、20分ほどの休憩を終えると下山に移った。下山はすんなりと往路を引き返した。目印テープを追ってだが、一カ所分かり難い所があって思案することになったが、基本は尾根筋を歩くことなので、それを心がけて下ると、あまり外れることもなく伝台山まで戻ってきた。後は遊歩道と呼べそうな道なので、気楽な気持ちで麓へと下って行った。
(2016/7記)(2020/4改訂) |