◆ TAJI&HM の 兵庫の山めぐり <西播磨編> ★ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大鷹山 おおたかやま | 201.0m | 赤穂市 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1/2.5万地図 : 相生 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【2009年4月】 No.1 | 2009-46(TAJI&HM) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高周波熱練(株)赤穂工場のそばより 2009 / 4 |
「郷土に学ぶ 有年の歴史・文化・自然」を見ると、旧・赤穂郡の山城として21もの城が紹介されている。これも千種川があり、山陽道、因幡街道と主要道が通っていて、城山を作る条件が揃っているためであろう。その紹介されている中から二つの山に絞って訪れたのは2009年4月の春らしい天気の日だった。空は淡い色ながら良く晴れており、空気は爽やかで春風を感じられた。まずは中山井堰の西に佇むごく小さな山、鍋子山をを訪ねた。こちらは小粒ながらもちょっとヤブ山の雰囲気があって、山頂の風情に城跡らしさを僅かに感じただけだった。その下山を終えたのが10時過ぎで、すぐに大鷹山へと向かった。向かったと言っても県道90号線を北に1kmほど走るだけだった。国道二号線の東有年交差点を渡ると東有年八幡神社の鳥居があり、そこから始まる石段が登山コースのスタートだった。車を止める所はと辺りを見ると、ごく近くに参詣者用と思われる2台分の駐車スペースを見たので、そこに車を止めた。早速、石段を登り始める。石段は長くは続かず、その先に手頃な山道が始まっていた。その雰囲気のままで登って行けるものと思っていると、すぐに車道に合流した。車道を歩いて東有年八幡神社の前に出る。神社の前はちょっと広めの境内が広がっており、小ぎれいな感じで地元の人に大切にされている印象を受けた。その境内の右奥、本殿の脇より登山道が始まっていた。よく踏まれた小径を登って行くと、その先で現れたのが平らな大岩で、少しくぼんでいた。「弁慶の足形」とのことだが、そこは素晴らしい展望台だった。南に向かって広々と開けており、足もとには旧山陽道の国道2号線が走り、千種川が流れている。太古からどれだけの人がここに立って眺めていたのだろうかと、感慨を起こさせる眺めだった。暫し足を止めて眺めていた後、登りを続けた。登山道に沿って電柱が点々と立っていたが、その先で現れたのは小さなパラボラアンテナを持つテレビ中継所だった。もう山頂近くまで来ているはずだったが、その先にははっきりとした小径は見えなかった。ただ木々は空いていたので尾根なりに登って行くと、数分で山頂に着いた。山頂には四等三角点(点名・片山)がぽつんとあり、周囲はすっかり雑木に占められていた。少し平らになっていることで城跡の雰囲気があるとは言えそうだったが、やはり城跡は保存のために手入れされてこそ風情が出るのではと考えさせられた。ほとんど展望の無い山頂だったが、一帯を眺めると北の方向に木々の切れ目があり、ごく近くに黒沢山が眺められた。山頂を今少し西へとなだらかな方向に歩いて城跡の佇まいを探っても良かったが、山頂に立ったことで大鷹山に満足した気分になってしまい下山することにした。下山は登って来た道を引き返すことにした。始めは小径がないため適当に南の方向へと下ると尾根を追えるようになり、テレビアンテナの前からは登山道を下って行く。低木が多いために歩く先に千種川が見えており、悪く無い下山だった。「弁慶の足形」で再び足を止めたり、八幡神社の佇まいを眺めたりと、のんびりとした下りだった。やはり里山は人の生活と結びついている限りは登山道の雰囲気は保たれるものだと、先に登った鍋子山と比較したとき、改めて思わされた。 (2009/4記)(2020/7改訂)(2023/1写真改訂) |
<登山日> | 2009年4月19日 | 10:23スタート/10:28八幡神社/10:33〜36展望岩/10:43テレビアンテナ/10:47〜11:06山頂/11:17展望岩/11:26エンド。 | |
(天気) | 快晴。朝の涼しさは消えており、登り出したときの気温は23℃あり、少し暑さを感じた。視界は春霞と言えるもので、ややうっすらとしていた。山頂の気温は25℃、風はほとんど無し。 | ||
<< Photo Album 2009/04/19 >> |
---|