TAJIHM の 兵庫の山めぐり <西播磨 
 
大鷹山    おおたかやま 201.0m 赤穂市
 
1/2.5万地図 : 相生
 
【2023年1月】 No.2 2239-03(TAJI&HM)
 
    JR有年駅より  2023 / 1

 兵庫県の地域情報を知るために神戸新聞WEBを覗くことがあるが、そのWEB情報で赤穂市有年にある大鷹山が有年城跡(太鷹城跡)として整備されたことを知った。当然登山道も整備されたはずで、その情報を得て大鷹山を再訪したくなった。向かったのは2023年の新年三日目のことで、14年ぶりの大鷹山だった。
 この日は快晴。駐車場は他の情報も拾って、有年公民館の駐車場とした。正月とあって駐車場に車は全く見なかったが「有年山城」の幟が立っていた。往路コースは前回と同じく南麓側にある有年八幡神社からのコースを登ることにした。その八幡神社へは公民館の裏手となる山裾の車道を歩いてもよかったが、少し離れて大鷹山を眺めたく、国道2号線の歩道を歩いて向かった。その歩道歩きも、途中で浄泉寺に近づける枝道に入って、浄泉寺の前から山裾道を歩いた。南麓が近づくと「有年山城跡」の大きな看板を見た。南麓に着くと有年八幡神社の鳥居が建っており、山城跡の幟が何本も立っていた。まずは鳥居を通って参道に入った。参道とは別に神社に通じる車道があり、その車道に合流すると程なく船灯台が現れて、その先が八幡神社だった。なお車道に沿ってLEDのチューブライトが続いていたので、夜はライトアップされているようだった。大鷹山への登山道は、本殿の右手奥から始まっていた。登山道はやはり整備されており、小ぎれいな感があった。また周囲の木々も少し伐られたようだった。標識も多くあり、途中には休憩所も作られていた。展望も良くなっており、気持ち良く登って行けた。山頂が近づくと城跡に関する標識も見るようになった。そして神社から18分で山頂到着となった。その山頂はすっかり様変わりしていた。本丸跡でもある山頂は雑木が広い範囲で伐られており、本丸跡らしさを取り戻していた。展望も十分あり、その展望を楽しめるようにパノラマ写真も置かれていた。ベンチもありテーブルもあって、ゆっくり城跡の雰囲気に浸れるようにもなっていた。本丸跡だけでなくそれに続く西の台地(西城郭)も適度に木が伐られて、散策出来るようになっていた。少時そちらも歩いてみたが、散策路は麓に通じており、薬師堂ルートに繋がるようだった。西城郭での散策を切り上げると山頂に戻った。山頂には4人家族が到着しており。3才ぐらいの女の子も混じっていた。大鷹山は小さな子供でも登れる山のようだった。その大鷹山からの下山は放亀山コースに入った。放亀山を通るコースで、ずっと緩やかなコースだった。放亀山は古墳が点在する山なので、古墳のそばを通ることがあった。このコースのままに歩けば放亀山のピークを通ると思っていたのだが、標識のままに歩いていると、ピークを通らぬままに麓が近づいてきた。どうやらコース途中で見た放亀山1号墳への道が山頂への道のようだった。それにしてもこのコースはずっと展望が無かったので、八幡神社コースと比べるとマイナー感は否めなかった。最後に二カ所のゲートを通って車道に下り着いた。そこは有年公民館にごく近い位置だった。
(2023/1記)
<登山日> 2023年1月3日 10:06有年公民館駐車場スタート/10:24有年八幡神社鳥居/10:31有年八幡神社/10:37弁慶の足跡/10:49〜11:18山頂/11:28放亀山/11:43放亀山コース登山口/11:47駐車場エンド。
(天気) 快晴。上空に雲はほとんど無し。山頂の気温は9℃。少し風あり。視界は十分に澄んでいた。
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有年公民館に駐車とした 有年山城の幟が立っていた 駐車場から大鷹山を眺めた 八幡神社コースへは、国道2号線で近づいた

山裾道もあったが
国道2号線を歩い
たのは、離れた位
置から大鷹山を眺
めるためだった

西へと歩いている
と、大きな岩を中
腹に見た
大岩は「弁慶の足跡」がある岩と思えた 国道を離れて浄泉寺に近づいた 山裾道を歩いていると有年山城跡の大きな標識を見た
南麓に着くと、有年八幡神社の玉垣が現れた 八幡神社の鳥居を潜る 石段を登るとゲートが現れたが、ゲートは開いていた
石灯籠のそばを通って参道に入った 参道を登って行く すぐに車道に合流した
ライトアップのLEDチューブが車道沿いに続いていた 八幡神社の手前で現れたのは船灯台だった 八幡神社の境内に入ると、大きな絵馬を見た
本殿の前に立った 本殿の右手より登山道が始まっていた 標識に従って登山道を歩いて行く
すぐに現れたのは岩は、「亀岩」とされていた 麓から見えていた大岩の前に出た 大岩の上が弁慶の足跡とされている所だった

大岩の上は以前と
変わらぬ好展望地
で、千種川が大き
く蛇行しているの
が眺められた
山頂までの距離標識を見るようになった 以後、50m毎に標識を見た コースにはベンチも置かれていた あと150mの位置は見張台だったが、展望は良いとは言えなかった

左手に下山ルート
として薬師堂ルー
トが分かれた

山頂が近くなると
城跡の標識を見る
ようになった

ここは南城郭1と
なっていた
大鷹山の山頂に着いた 雑木は伐られてすっかり様変わりしていた 山頂は本丸跡だった 有年山城跡には八幡山城及び大鷹山城の名があった
四等三角点(点名・片山)を見る ベンチもテーブルもあり、休むには良い所だった 展望を楽しめるようにパノラマ写真も置かれていた

南向かいの風景は
コース途中の展望
地とほぼ同じだっ
たが、川向山まで
眺められるように
なっていた
上の写真の左手を見る 宝台山が望めた 上の写真に写る荒山を大きく見る 鴾ヶ堂城跡展望台が建っているのは三重山の山頂だった
川向山を見る 左の写真の中にちらりと写る瀬戸の島を大きく見る 西を見る 木々の隙間から清水山が望めた
千種川が光っていた 北の方向も展望があった
(←)
上の写真に写る白
旗山の尾根を大き
く見る

 (→)
  白旗山の右手奥に
  見える白い山は、
  後山の南尾根かと
  思えた
山頂の西側も整備されて遊歩道が付いていた 遊歩道は下山道として薬師堂ルートに繋がるようだった その辺りは西城郭跡とされていた ほぼ平坦になっていた 西城郭跡を少時散策した後、山頂へと戻った
山頂に戻るとファミリーが着いていた 小さな女の子もいた 山頂を通り過ぎて、放亀山コースとなる東へと続く登山道に入った 登山道が二手に分かれると、放亀山コースは右手の道だった
まだ有年山城の幟を見た ロープもあったが、概ね緩やかなコースだった コースには古墳が点在しており、放亀山7号墳を見る
1号墳がある放亀山への道には入らず、下山を続けた 放亀山コースはずっと展望の無いコースだった 麓が近づいたとき、水道設備が現れた
ほぼ平坦路となり、登山口に近づいた 車道が見えたとき、フェンスのゲートを通過した もう一度ゲートを通過した
その二つ目のゲートに登山口の標識を見た 近くに有年公民館が見えていた 有年公民館の駐車場に戻ってきた