香寺町須加院の北側に広がる低山に山城跡があり、山頂まで登山道が通じていることを知った。田野城跡とのことで、その名からして東麓側の田野地区と関連があるようだった。その田野地区側から山頂の本丸跡まで登山道が通じているようだった。その田野城跡を一度は訪れておこうと向かったのは、2023年の1月中旬のことだった。地図を見ると三角点の無いピークだったが、東麓側から破線路が一部途切れる形で描かれていた。東麓側に着くと練金下池(ねりがねしたいけ)があり、その傍らに田野城跡の案内標識が立っていた。登山道の入口も近くに見えていたが、登山口標識は見なかった。池そばに一台分の駐車スペースがあったので、そこに車を止めた。登山口に入ると始めに練金下池を左手に見て、谷筋を歩く感じで西へと歩いた。良く歩かれている道のようで、荒れた感じは全く無かった。途中、低山にしては珍しく植林地が現れたが、間伐されていないため細い木ばっかりだった。進むうちに上り坂になり、小さな尾根を越すこともあった。山頂が近くなると登山道の傾斜はきつくなり、そこには鎖が付いていた。ただ鎖を使う必要もなく登って行けた。そして登山口から23分で山頂となる「伝本丸跡」に着いた。地図では破線の切れている所もあったが、実際は山頂まではっきりした登山道が付いていた。山頂は広く芝地になっており、中央にアンテナが立っていた。東の方向が広く開けており、展望は良かった。そちらで目立っていたのは畑山で、遠くは大船山などの北摂の山も望めた。山頂は東西に長くなっており、東のピークが本丸跡だった。本丸跡で一息入れると、西の方へと移動した。そちらは「伝西の丸跡」となっていた。本丸跡ほど開けていなかったが、北の方向に少し展望があってそちらで大きく見えていたのは笠形山だった。その西の丸跡に「田野城山」の標識を見た。麓の案内標識にその名は無かったが、田野城山で呼ぶのも悪くないように思えた。西の丸跡は木漏れ日もあり、落ち着ける所でもあったので、そこで昼休憩とした。そして下山はすんなりと往路を戻ることにした。本丸跡へと戻り、その先の急坂さえ注意すれば後はひたすら易しい道だった。
(2023/2記) |