淡路島の地図を見ると、ごく小さな山にも山名の付いていることが分かるが、小さすぎてわざわざ橋を渡ってとなると、費用対効果から考えて二の足を踏んでしまう。それが2009年3月より千円高速の制度が出来たことにより、淡路島にもごく気楽な感じで行けるようになった。そこで淡路島の小山巡りも楽しめるようになったが、その千円高速制度が2011年6月20日から中止されることになった。それならばまだ制度があるうちにもう一度小山巡りを楽しむことにした。出かけたのは6月の第一土曜日のこと。その小山巡りの最初に登ろうと決めたのが大戸山だった。淡路島の北部、常盤ダム湖の南に立つ山である。
この日は晴れの予想ながら、朝は薄曇りだった。それと視界はモヤが強く、明石海峡大橋を渡っているとき、神戸の街も淡路島も薄ぼんやりとしか見えていなかった。東浦ICを8時に降りると、常盤ダムの方向へと適当に車を走らせた。その常盤ダムが近づくと、大戸山遊歩道の名が標識に現れた。その標識に従って走って行く。ダム湖に架かる橋を渡って戸ヶ鼻池のそばへと出た。まだその先も車道は続いていたが、戸ヶ鼻池のそばに駐車スペースを見たので、そこに駐車とした。近くにも標識があり、大戸山展望台まで700mと書かれていた。そこが山頂ではと思われたので、ごく軽いハイキングになりそうだった。始めは車道を歩くので、舗装路歩きで大戸山に近づく。最後の民家のそばを通って南西方向へと進むと、右手が山裾になった。道はほぼ平坦路で、5分ほど歩いたとき、突然左手に東屋が現れた。その位置から先は舗装されておらず、一帯は草深くなっていた。そばの広場はテニスコートらしかったが、もう利用されていないようで、ただの草原だった。他にもトイレがあったが閉まっており、アスレチックの遊技設備も壊れたままだった。どうもその様子から、大戸山遊歩道を含めて公園として作られたものの、その後は手入れをされずに荒れるにまかせてしまったようだった。その草深い遊歩道を歩き出すと、登り坂が始まった。そして周囲は林の風景となってきた。その山ふところを登るようになって、遊歩道の草深さは無くなり、少し荒れている程度で登って行けた。梅雨どきとあって空気は湿っており、蒸し暑さを感じながら進んで行く。遊歩道は一カ所で崩壊していたものの、しっかり作っているのか、階段の部分の崩れは少なかった。途中で別の遊歩道が合流したので、遊歩道は一つだけでは無さそうだった。また遊歩道の途中には水飲み場として水道が作られていたが、水は出なかった。緩くもなくきつくもないと言った感じで登って行くと、東屋が現れた。そこが山頂の展望所のようだった。東屋は荒れており、肝心の展望は全く無かった。ここがいつに作られたのか分からなかったが、周囲の木立はすっかり生長しており、ただその木立を眺めるだけだった。辺りを探ると、少し下がった位置に復興基準点が置かれていた。説明板があり、その地点の標高は222.7mと書かれていた。せっかくの山頂でもあり、展望所と名が付いていることでもあるので、木に登って展望を得ることにした。そこでそばに立っていた手頃な松の木に登ることにした。2、3メートルでは前の木を越さず、4メートル近く登って漸く北の展望が現れた。強いモヤの視界に近くの風景でも薄ぼんやりとしていたが、そこに見えていたのは城ノ瀬山のようだった。山の姿によってでは無く、山頂に建つ電波塔と展望台とで城ノ瀬山と分かった。その左手は海岸線のはずだが、モヤに溶け込んでいた。得られた展望はそれだけだった。もう山頂の様子も分かったので、下山とする。下山は登ってきたコースを引き返すのみ。大戸山は登ってみればごく簡単に山頂に立てることが分かったが、山頂の東屋は荒れており、展望台の面影はすっかり無くなっていると言えそうなので、どうも登る人はこちらのような物好き以外は居ないのではと思われた。その下山でのことだったが、ほぼ麓に下りてきたと思えたとき、道ばたでウドを見かけた。ウドと言えば兵庫では北の地域でしか見かけていなかったので、淡路でも見たことを珍しく思った。まずは軽い足慣らしと言った感じで、大戸山登山を終えることが出来た。
(2011/6記)(2020/9改訂) |