佐用町の中でも旧上月町は千種川に多くの川が流れ込んでおり、山域としては低山ながら地形は複雑になっている。その地形のためか山城跡が多くあり、この飯の山もその一つで、ごく低山ながら佐用川と千種川の合流点が南麓にある要害の地のためか、源平の世から山城が作られていたようだった。
毎年梅雨どきは目立たぬ低山の集まる佐用町に惹かれる気持ちが起きるようで、2008年の梅雨どきもまた出かけたくなった。そこでごく低山を二つばかり登ろうとどんよりと曇った6月の21日土曜日に佐用町に向かった。国道373号線を上郡町から北上して佐用町に入ると、千種川を渡って佐用川に近づいたとき、この飯の山が北の方向間近に見えてきた。南北に長い尾根は南から見ると飯を盛った形に見えなくも無かった。この飯の山の南には久崎小学校があり、また智頭鉄道の久崎駅も近かった。その久崎駅に立ち寄ると、駅前に数台の車なら止められそうなスペースがあったのを見て、そこに駐車とした。そこからは久崎小学校の南を回って南尾根の端に近づいた。その尾根端は国道373号線に接しており、その位置にガソリンスタンドが建っていた。そして尾根の入口には鳥居が立っていた。南尾根の中腹には大避神社があり、その鳥居のようだった。参道を歩き始めるとすぐに害獣避けフェンスがあり、それを抜けて行く。参道は舗装路で続き、途中で車道が分かれると参道は石段となって真っ直ぐな急階段が始まった。石段は落ち着いた感じがあって悪くは無かった。そして着いた大避神社も小さな神社ながら歴史を感じさせる落ち着きがあった。その位置でもう中間地点と思えたので、飯の山は本当に小さな山と思えた。神社の裏手を見ると特に小径と言えるほどの道は見えないので、適当に登り易そうな所に取り付いた。尾根筋を辿り出すと、踏み跡程度とも言えそうもない小径を見たが、下生えが少ないので特に意識をせずとも登って行けた。登り出してすぐに大きな岩を見たのでその先で岩場の展望地を期待したが、岩があったのはそこだけで、その先は雑木ヤブの感じで続いた。やっかいなのはクモの巣で、何度となく引っかかったのでゆっくりと目の先に注意を払って登る必要があった。それと蒸し暑さが厳しかった。気温は23℃ほどと高くはなかったが、水気たっぷりの空気はかき分けて登る感じだった。薄暗い木立の中をクモの巣と蒸し暑さを我慢しながら登っていると、その感じのままで山上に出てしまった。そこはいかにも城跡らしく平らになっていたものの、城跡らしさはそれだけで、平らになった一帯は貧弱なヒノキの植林に占められていた。また足元は笹が茂っていた。その一角に四等三角点(点名・久崎)を見た。そこに三角点はあるもののその位置はどうも山頂とは言えず、少し北の方が高くなっていた。そこで北へと歩いて行くことにした。数メートルの段差で北は一段高くなっており、そちらも広く平らになっていた。そして三角点の位置と同じく植林と笹で覆われていた。その風景が山頂部の北端まで続いていた。おかげで山上に出てもいっこうに展望は無かった。小さな山と言うことは別にして、城跡のある山としてそれらしき雰囲気を期待していたのだが、何ともマイナーな山頂の雰囲気だった。山頂部の北端の位置にUHFアンテナが立っており、その先はやや急傾斜で鞍部への下りが始まっていた。そのままそこを下って行くことにした。60メートルも下ればもう鞍部で、そこからは東へと下った。そこにも小径があり、30メートルほど下るだけで林道の終点位置に着いた。初めの考えではそこから林道を歩いて駐車地点へと戻ってこの飯の山を終える予定だったが、蒸し暑さでこの日の午後の登山をする気が無くなっていた。そこでこの飯の山だけで終わらせるのならもう少し足を使うことにした。再び山頂に戻って、往路を辿る形で下山することに変更した。山頂に戻ったとき少しは展望を得たいと改めて周囲を眺めたが、平坦部は植林で周囲も雑木が囲んでおり、その隙間から遠方がちらちら見えるだけだった。そこで木にも登ってみたが、なんとか千種川流域が少し覗けた程度だった。ただ山並みはガスに隠されていることでもあり、展望は諦めて下山へと向かった。そして結局は登山にしても山頂の雰囲気にしてもマイナーな感じを持って終わってしまった。ただ登山としてもっと楽しむべく、尾根をずっと北へと辿って高倉山まで目指せば少しは印象も違ってきたかもしれないとの思いを、下山を終えてからふと思った。
(2008/7記)(2021/1改定) |