姫路市香寺町の須加院地区は南の広峰山系と西の夢前町との町境尾根とに挟まれた谷あいの集落である。その須加院地区の背後に小さな山が控えている。名は毘沙門山で、特に目立った姿をしているわけでは無い。しかしこの山は「播磨鑑」にも記されており、山頂の近くに毘沙門岩屋と呼ばれる岩穴があって、そこには毘沙門堂が置かれ毘沙門天王が祀られているとのこと。またそのそばには薬師如来も安置されている。
2004年5月の下旬は空の思わしくない日が多く、そこで近くの山で気軽にと考えて、この毘沙門山を選んだ。最初に考えたのは南の細倉大池側から長く尾根を歩くことだったが、香寺町に入って空の雲行きを見ると、そう長くは山上に居れそうには思えず、そこで山頂に手っ取り早く立てるルートとして、奥須加院集落を奥に詰めて、西麓側からの尾根で登るコースを考えた。その尾根端の辺りに来てみると、毘沙門堂の標識を見た。その近くの路傍に駐車スペースがあったため、そこに駐車とした。そして毘沙門堂への案内に従って山道を登り始めた。道の脇には「毘沙門天王」と記された旗が何本も立てられていた。やがて石の鳥居を潜り石橋を渡ると、つづら折れで上り坂が始まった。山道と言うよりも参道の雰囲気の道だったが、梅雨空のために薄暗い中での登りだった。15分ほどの登りで小さな広場に出た。山肌は大きな岩となっており、そこに小さな祠として毘沙門堂が置かれていた。そばには案内板があり、「播磨鑑」のことは記されておらず、最古の地誌「播磨風土記」の『石坐(いわくら)の神山』がこの毘沙門堂の地であると記されていた。そしてその山名『石坐神山』の記された立派な石柱が立っていた。ただそこは展望があるわけでも無く、ひたすら宗教色の濃い場所なので、すぐ尾根に向かうことにした。その毘沙門堂の建つ一角に簡易トイレが置かれており、そのそばから山道が始まっていた。明確な道では無かったが、木々の空いた所を登る感じで登って行くと、ごく短時間で尾根に出た。但し、山道のままに尾根に着いたため、現在地がよく掴めなかった。そこで辺りの様子を探ろうと、北へと向かう尾根道を少し辿ることにした。道は下り坂のままに続き、やがて車の音が近づいてきた。少し登り返した所で視界が開けた。眼下に池が見え、車道も見えていた。どうやら池は逢坂池で道は相坂トンネルへと通じる道のようだった。漸く現在地が毘沙門山の山頂に対して北の端に近い位置であることが分かった。再び尾根を登り着いた位置に戻り、そこより山頂方向に目をやると、木の間越しに山頂部が見えていた。その山頂へと尾根道を辿って行った。道ははっきりとしており、松の倒木が少し煩わしい程度で進んで行けた。山頂が近づくと露岩地も現れ、けっこうすっきりとした展望が広がっていた。南西方向に氷室山、そこより暮坂峠を越して北西方向となる谷山までの尾根が展望出来た。その展望地を過ぎて山頂に立つと、そこに四等三角点(点名・丁ヶ崎)を見るものの、そこはすっかり雑木に囲まれており展望は無かった。すぐに引き返して露岩地で休憩とした。そこは風も通って涼しく、麓で感じた蒸し暑さは無かった。その憩いの中で、毘沙門山を風土記の山としてとらえず、姫路近郊の里山ハイキングを楽しめる山として登るだけで十分ではと思った。その間に空の雲は次第に黒さを増して、今にも雨が降りそうな様子になってきた。下山はすんなりと毘沙門堂経由で麓へと戻った。
ところで最近読んだ香寺町の町史「村の記憶」によると、毘沙門堂の前では、祭祀日となる1月2日には毎年山伏姿の行者が集まって護摩が焚かれると書かれていた。
(2005/8記)(2017/12改訂)(2022/3写真改訂) |