山も好きで小説も好きな人には、新田次郎の愛読者も多いと思われるが、その代表作「孤高の人」のモデルとされるのが加藤文太郎。明治に生まれて昭和の初めに活躍した人だが、その彼のふるさとの山となるのがこの観音山とのこと。
訪ねたのは1997年4月の桜の季節で、浜坂町清富集落の奥にある相應峰寺の駐車場に着くと、その駐車場の桜が満開だった。まずは桜を楽しんでから歩き始めた。山頂手前には相應峰寺の圓通殿が有り、そこまで道幅もある歩き易い参道が続いていた。参道には適当な間隔で「丁目」の表示が付いており、また所々にベンチも置かれていた。ただ道中は木立のために、展望はほとんどきかなかった。その往路では別院を通らず、尾根道を辿って山頂に着いた。山頂は程良い広さの芝生の広場になっており、そこは展望台でもあった。西には浜坂の町が広がり、北は日本海だった。広場の周囲にも桜の木があって、そこも今が見頃になって風情を誘っていた。暖かい陽射しのもと、足下に広がる浜坂の町を眺めていると、ふるさとに山があるのはしみじみと良いものだとの思いが湧いてきた。その山頂からは東に両翼を広げた形で姿の良い山が見えていた。後で調べると大谷山とのことだったが、明日はその山に登ろうとの思いが湧いてきた。山頂では40分ほど休憩すると、下山は圓通殿を通って参道に出た。後は参道を歩いて麓へと戻って行った。
(2002/4記)(2012/8改訂)(2020/10写真改訂) |