TAJIHM の 兵庫の山めぐり <中播磨編 
 
西島250mピーク 250m 姫路市家島町
東大寺山 187.5m
 
1/2.5万地図 : 西島
 
【2003年8月】 2003-67(TAJI&HM)
 
   赤穂御崎の伊和都比売神社より  2010 / 10

 家島諸島で一番気にかかるのは、やはり西島であろう。家島諸島で一番標高のある島と言うことだけでなく、島の頂上近くには頂上石(コウナイの岩)と呼ばれる奇岩があるとか。しかし訪れるとなるといつでもというわけにはいかない。定期船が通うのは夏のシーズンだけのようだった。それならば海水浴と合わせて訪れるのが良いのではと、夏場を待つことにした。そして訪れたのは2003年8月下旬のこと。漸く暑い日が続くようになり、この日も朝からもう気温は30℃に迫ろうとしていた。晴天続きのために空は濁っており、島に近づいてもうっすらとしかその姿は望めなかった。坊勢汽船は島の東端の波止場に着いた。そこから丘を越えて1kmほど歩いて、南の浜にある「母と子の島」管理棟に着いた。そこで入島手続きを済ませた。そして早速、頂上石に向かおうと事務所の人に経路を尋ねると、そう簡単には行けないとのこと。しかもこの日は採石場が操業しており、その中を行かねばならないことを聞かされた。それでも何とかなるだろうと気軽に考えて、キャンプ場をスタートした。波止場までの道を中程まで戻り、そこより山越えの小径を伝って行った。まだ朝の時間帯ということもあって、空気には少しは涼しさが感じられた。ただその小径はあまり歩かれていないらしく、少し草深くなっていた。浜から130mほど登って峠に着き、島の北側へと下って行く。その下り坂に入ったとき西の方向が少し開けて、西島の最高地点が望めた。その頂上から続く尾根を目で追うと、少し下った位置のピークに丸い岩が目に付いた。どうやらそれが頂上石のようだった。北の浜が近づくと、廃墟となった建物を幾つか見かけるようになった。その佇まいから、以前はその辺りの浜辺も海水浴場になっていたようだった。やがて土道の車道に合流し、浜に沿って続くその車道を歩いて行った。浜を見ると海上釣り堀があって、大勢の人が釣り糸を垂れていた。道はそのまま採石場の波止場へと続いていた。その波止場からいよいよ島の西にある最高地点へと向かうのだが、そこへの道は、まさに採石場のど真ん中を通るもので、幅10メートル以上はあると思える大通りだった。しかも超大型のダンプカーが頻繁に走っていた。ダンプカー以外に土埃を押さえるための散水車も走っていた。これは場違いな所に足を踏み入れた感じだったが、何とかなるだろうと歩を進めることにした。その道は終始ジャリ道だった。ダンプカーのじゃまにならないようにと遠慮しながら道端を登っていたが、やはりダンプカーの人に尋ねられてしまった。頂上石に向かいたい旨を言うと、目的を理解してくれたようで、親切に道順を教えてもらった。但し午後には爆破作業があるとか。そこで午前中には下りることを約束して登りを続けた。もう陽射しを遮るものは何も無く、正に炎天下の登りだった。久々に体験する猛暑の登りだった。とにかく、まず最高地点に立つことを目指した。作業現場は標高にして150m辺りまでだったので、そこから先は車を気にせず登ることが出来た。頂上が近づくと作業道を離れて、小型のブルドーザーで山を削っただけの道を登ることになった。少し傾斜がきつくなり、汗も一段とかくことになった。とにかく登りきると、最高地点の平らな場所に出た。木は1本もなく、雑草が生えているだけだった。そこは以前からの最高地点では無く、どうやら一帯は採石で削られて、その平らな場所が現時点での最高点のようだった。地図では最高点は標高276mと記されていたが、どうも数十メートルは低くなっているように思えた。ただそこは最高地点である上に草木が無いとあって展望は抜群だった。足元には採石現場が広がり、島の尾根も一望だった。頂上石が北の方向、少し低い位置に見えていた。残念なのはこの日はモヤのきつい空だったことで、遠くはほとんど見えなかった。近くの家島がうっすらと分かる程度で、小豆島も播磨灘もモヤの中だった。一息入れたところで尾根を北へと下り頂上石を目指した。その尾根はほとんどが採石現場なので、頂上石まで遮る物は何も無かった。逆に言えば頂上石付近のみ自然を残していると言えた。頂上石までもブルドーザーで削っただけの道が続いており、難なく近づけたが、炎天下だけにもう足は重くなっていた。漸くの思いで頂上石に着いた。遠くからは小粒な岩に見えていたが、そばに来るとやはり大きかった。高さ8メートル、周囲25メートルとか。仰々しい説明板など無く、さりげなく岩が鎮座しているだけだった。頂上石には多くの謂われや伝説が有るようだったが、ただ単純にこの岩に出会えたことを喜んだ。またうれしかったのは、岩の周囲を灌木が取り巻いて木陰を作っており、そこのみ涼しげな風が吹き抜けていたことだった。炎天下で疲れた体を、その風が癒してくれた。ところでこの頂上石のそばに真新しい三角点が置かれていた。しかも、一等三角点(点名・家島、標高187.5m)だった。持っていた地図は平成3年版と古く、三角点は山頂より北東の位置、標高213m地点に着いていたので、これは意外だった。どうやら採石のために、頂上石の近くに位置が変更されたものと思われた。涼しい風に誘われて、そこで昼寝でもしたい気持ちだったが、時間ははや11時が近づこうとしていたので、今少し休んでいたかったが戻ることにした。帰りも往路と同じコースを歩いた。もう十分に疲れた体だったが、北の浜へと下り、そして重い足どりで再び尾根を越えて、「母と子の島」キャンプ場へと戻って行った。最後の登りでは、暑さと疲れのため、意識はもうろう気味になってしまった。結局、3時間を越える炎天下ハイキングとなったが、終わってみるとやはり行って良かったと思える頂上石との出会いだった。この日の午後は南の浜で海水浴。小さな浜だったがゴミの無い砂浜はどこまでも美しく、水も澄んでいた。浜に人影は少なく、気ままに飛び込んでみると、ぬるま湯のような暖かさだった。のんびりと泳いでいると、疲れた体が自然とほぐされて午前の登山が夢の中のことのように思われて来た。

(追記) 新しい「西島」の地形図を見ると、西島の最高点には標高は書かれておらず、等高線は250mまでだった。西島訪問時の山頂の様子は、この新しい地形図の地形と同じではと思えたので、現時点での西島の標高は276mでは無く、250mと考えることにした。
(追記2) 2022年の時点でネットの国土地理院地図を見ると、西島から三角点が消えていた。一等三角点があった位置には187mの標高点と「頂ノ岩」の名を見るだけだった。
(2003/8記)(2013/1改訂)(2022/5写真改訂)
<登山日> 2003年8月24日 7:25姫路港発/8:10西島着/8:38キャンプ場スタート/9:25北の波止場/10:12〜21島の頂上/10:30〜36頂上石/11:05北の波止場/11:42峠/11:55キャンプ場に戻る。
(天気) 晴天が続いていたため、朝からモヤの強い空で、黄色く濁っていた。家島諸島に近づく頃、ようやく空に薄青い部分が現れて来た。朝から気温は高く30℃近くはありそうで、その後も上がっていた。蒸し暑さもひとしおだった。登山の頃に空ははすっかり晴れとなったが、モヤの強いままで、淡い青空だった。そのため視界は悪く、近隣の島がうっすら見える程度で、遠方はモヤに溶け込んでいた。気温は昼には35℃近くまで上がったのでは。陽射しは強く、まさに猛暑だった。
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西島の東端に近い
峠越えの小径を歩
いていると、島の
最高点が望めるよ
うになった

島の最高点より少
し低いピークは東
大寺山だが、そこ
にある頂上石も眺
められた
(←)
島の最高点に着く
と、そこも採石で
削られており、以
前よりも低くなっ
ているようだった
 (→)
  その最高点より東
  の方向を見る 足
  元には採石現場が
  広がっていた

島の最高点より西
から北にかけてを
眺めた

頂上石は結構低い
位置に見えていた

左の写真を今少し
大きく見る
院下島の方向を眺めた 最高点を離れて頂上石に近づいた 頂上石が間近となった

頂上石の前に立つ
と、そばに三角点
を見た

三角点は一等三角
点(点名・家島)
で、真新しさがあ
った

間近で見る頂上石
はさすがに大きか
った

頂上石がある東大
山の山頂より海を
眺めた
「母と子の島」キャンプ場に帰ると、午後は浜辺でのんびりと海水浴を楽しんだ 海水浴も終えて、西島の波止場には15時半頃に戻ってきた 波止場に立って東の方向を見ると、坊勢島が近くに見えていた