住吉山から高倉山へと続く尾根は福崎町の東にあって、西の山並みからはけっこうはっきりとその姿が眺められる。それもあって1996年11月に訪れたのだが、住吉山まで地図に示された山道があって歩き易かったものの、その先は全くのヤブ尾根で、えらく苦労して高倉山の山頂に立ったものだった。その住吉山から先の尾根が近年整備されたようで、それなら再訪してみようと向かったのは、19年後となる2015年10月で、3連休の初日だった。晴れ間が見える空を期待していたのだが、朝からすっかり雲の広がる空だった。しかも視界は薄ぼんやりとしており、播但道から見える七種山塊はかろうじて輪郭が分かる程度だった。播但道を離れたのは福崎南ICで、すぐに東へと走ると、右手前方に住吉山がすぐに現れた。その西麓側の道へと折れると程なくと郵便局が現れ、その先で慰霊塔への案内標識を見た。それに従って細い道に入ると山裾へと近づき、上り坂になると車道は林道の雰囲気となった。すぐに左手に現れたのが八千種慰霊塔だった。そばにはトイレがあり数台分の駐車場もあったので、そこに駐車とした。駐車場のそばが住吉山の登山口だった。その登山口に向かう前に慰霊塔に立ち寄った。平成五年に作られたもので、太平洋戦争が終わって50年目の慰霊碑だった。登山口には「住吉山登山口」と標識が立っており、そこから歩き易い登山道が始まっていた。住吉山までは少し傾斜のきつい所があったが、道幅は十分にありよく整備されていた。近くで祭りでもあるのか、祭囃子が聞こえていた。それを聞きながら登ると、登山口から12分で住吉山の山頂だった。四等三角点(点名・住吉山)があるものの周囲はすっかり樹林に囲まれていたので、すぐに先に進んだ。鞍部を過ぎると緩い上り坂になり、そしてほぼ平坦と言えそうな尾根道が続いた。すっかり散歩道の雰囲気だった。そのうちに緩やかな登りとなって着いたのが三等三角点(点名・八千種山)がある高倉山のピークだった。昼になっていたので、そこで昼食とした。高倉山は少し展望があって北西方向が望めたが、ひどいモヤのために七種山が見えるか見えないかと言った感じで、何とも残念な視界だった。この尾根では高倉山が最高点では無く、東隣りの260mピークが最高点だった。昼食を済ませると、すぐに高倉山を離れた。緩く下って緩く登り返すと、10分ほどで260mピークに着いた。そこにも標識が立っていたが山名は無く、行き先の表示があるだけだった。その標識は住吉山と工業団地はしめしているものの、これから向かおうとしている南の方向は示していなかった。それでもそちらへの尾根道はあったので、予定通り南のピークへと向かった。始めこそヤブっぽい所があったものの、歩くうちにヤブっぽさは消えてスムーズに歩けるようになった。鞍部に着くとそこにも標識が立っており、東は加西で西は八千種と示されていたが、南の方向は示していなかった。その南の方向へと尾根道を登ると、尾根の途中に送電塔(玉野溝口線21番)が建っていた。その送電塔のそばで落ちたばかりのシバ栗を見たので上を見上げると、栗の木にまだイガが多く残っていた。試しに栗の木を揺さぶってみると、思いのほか多くのイガが落ちてきた。おかげで暫し栗拾いを楽しむことになった。尾根歩きを再開して登りを続けると、程なく260mピークに着いたのだが、標識らしきものはそこには立っていなかった。周囲はすっかり雑木林になっており、展望のかけらも無かった。そこで次に南西の方向にある三角点ピークに向かった。そちらへも尾根道は続いており、まずまず無難に歩けたが、所々でヤブっぽくなっていた。緩やかに下って登り返した先が183mピークで、そこに四等三角点(点名・福井谷)を見た。そこもすっかり雑木林に囲まれていた。これで五つのピークを踏むと言うこの日の目的は達したので、後は下山するだけだった。下山としてはそのまま尾根を下って行くことを考えていたのだが、どうもその先はヤブのように見えた。駐車地点に戻るには尾根を下るのが近道だったが、ヤブコギをしてまで下りたくはなく、そこで二つの260mピーク間の鞍部まで戻ることにした。また260mピークに立つのは少し足の疲れることだったが、ゆっくりと登ることを心がけて足への負担を少なくした。そして260mピークを越し、再び送電塔のそばを通って鞍部に着いた。そこからは標識に従って西へと谷筋の小径に入った。登山道は続くものの歩く人が少ないのか、少し軟らかい道だった。また雨天時は水の流れになるのか、けっこうじめじめとした所が多かった。それでも道としてははっきりしていたので道なりに歩いて行くと竹林が現れ、そこを抜け出すと畑地の一角に出てきた。前方には新池が見えていた。その新池を過ぎると後は畑地を貫く農道歩きだった。何とも牧歌的な風景で、歩いていると祭囃子もよく聞こえていた。八千種集落が近づくと北の方向へと歩いて、八千種小学校の前に出た。そこまで来ると八千種慰霊塔の標識が現れたので、後はそれに従って駐車地点へと戻って行った。
(2015/12記)(2020/8改訂) |