千種川沿いを南下して行くと、川沿いの尾根は次第に低くなって、赤穂市に入ると標高は300mまでとなって来る。その低い尾根が山陽自動車道と交差するとき、東側の尾根に小さいながらも整った山容で目立つ山がある。それが尼子山で、山頂には尼子城址があり、歴史の山でもある。その尼子山をその姿に惹かれて登ったのは1997年1月のこと。登山道こそあったがあまり歩かれていないようで、草深くなっている所も見られた。その尼子山が「はりま歴史の山ハイキング」に紹介されて、登山道も整備されて来たようだった。その変貌ぶりに興味を持って、午後のひととき訪れたのは、2007年2月のことだった。
有年駅前で国道2号線を離れ、周世坂越えで千種川の左岸道路を目指すと、尼子山が近づいたとき、道路は工事中で通行止めになっていた。仕方なく右岸道路で坂越橋まで南下して、大回りで西麓の上高野集落に近づいた。集落内には駐車スペースが無いため、千種川の土手に車を止めた。車を降りると強風が吹きつけて来た。播州南部は晴れているものの北部は荒れ模様で、そちらの空は暗かった。その影響もあっての強風と思われたが、気温は14℃あり、冷え込む寒さでは無かった。往路は前回と同様、上高野集落から始まる登山道を登ることにした。登山口に立つ案内標識を見つけ、それに従って山中に入った。始めは巻き道で山裾を北へと向かい、そして上り坂となった。周囲は照葉樹の雑木林で、下草にシダが目立つ風景はあまり変わっていなかった。ただ草深さは無くなっており、ごく気楽に登って行けた。やはり手入れがされているようだった。それがはっきりしたのは山頂が近くなって露岩地が見られるようになった辺りで、そこには新しく下高野集落からの道が合流していた。そして露岩地にはロープも張られて安全に登山が出来るよう図られていた。展望も良くなっており、振り返ると千種川の河口風景が広がっていた。山頂に着くと、もう以前の寂れた面影は無かった。山頂の本丸跡に建つ神社は新しくなって灯籠も立っており、すっかり境内の風景だった。山頂からの展望が無ければ、里の神社にも見えそうだった。麓の強風は山頂には無く、どうやら山頂の木々がうまく防いでいるようだった。おかげで境内は陽射しもあって春先の暖かさだった。その山頂よりも展望では露岩地の方が良いようで、一休みするならそちらでと、山頂は10分ほどで切り上げた。そして登山道を上高野コースと下高野コースの分岐点まで戻ると、下高野コースの方に展望台の文字を見たので、今少しそちら側に下ってみた。そこは露岩地とあって視界を遮る木々は無く、この山一番と言える展望が広がっていた。南東の御津山脈から北西の黒鉄山まで一望だった。そこも風は無く、冬の陽射しを浴びながら、要衝の地に立つ山ならではの展望を楽しんだ。そして下高野コースの下りを続けた。こちらは最初に急坂があり、一気に高度を下げた。こちらの道も変に整備されておらず、ごく普通の里山道の雰囲気で良かった。そのまま麓に下りるものと思っていると、麓が近くなって「ハゲ山」への道が分かれた。山の名こそ付くが、地形図を見るとごく小さなピークなので、そちらに向かってみた。すると本当にごく僅かな距離でハゲ山に着いた。そこは狭いピークで、千種川は木々の隙間からでしか見えなかった。それだけの展望かと思って振り返ると、尼子山の山頂が迫っており、けっこう迫力を持って眺められた。やはり寄り道はしてみるものだと思った。そして再びコースに戻って、下り着いた所は尼子神社のそばだった。近くには誓教寺もあったが、集落の道から離れており、下高野側の登山口を見つけるのは難しいのではと思っていると、集落の道に合流した所に、分かり易い標識が立っていた。
この日のように尼子山を二つの集落からのコースで歩くと周回コースになり、山上では展望の楽しみとともに歴史も振り返られ、数時間程度のミニハイキングとしては悪く無い山だと思えた。
(2007/2記)(2012/1改訂)(2020/11改訂2) |