国道2号線を有年を過ぎて程なく国道373号線に入ると、道は千種川の左岸を北へと向かって行く。そして上郡町の市街地が近づいて来ると、市街地の北にあるこの生駒山が次第に大きくなって来る。山上には城跡があり、「はりま歴史の山ハイキング」にも紹介されて、気軽なハイキングの出来る山として広く親しまれている。ただ、1997年に登ったときの感想として、山頂の展望の良さと快さは記憶に残ったものの、低山だけに登山としては簡単すぎた。そこでもう一度登りたい気持ちはあったものの、今少し登りがいを求めて、足は他の山に向くことになってしまった。ところが、2006年2月の中旬に、左足の甲を捻挫してギブスのお世話になってしまった。山での怪我なら自業自得なのだが、通災とあって何とも情けないことだった。その週末は痛みで寝込んでしまったが、その痛みも数日で和らぎ、少しは歩けるようになってきた。そして次の週末の土曜日が2月25日だった。この日の空は快晴、2月の末とは思えぬ暖かい日で、まさに春の陽気だった。この空を見て、どうにも身体がうずいてきた。病院からは歩くのはかまわないとのことだったので、この言葉を拡大解釈して、少しの山登りなら良いだろうと考えた。しかしまだギブス状態なので、無理は出来ない。そこで思い浮かんだのが生駒山だった。山頂から南へと延びる尾根は緩やかそのもので、ごく気軽なハイキングとしてなら、打ってつけと思われた。そこで早速向かうことにした。春のような暖かさとあって、視界はクリアとは言えず、上郡の町は春霞でうっすらとしていた。生駒山も少しモノトーンに見えていた。登るのはやはり南コース(羽山登山路)からで、その登山口そばにある墓地の駐車スペースに駐車する。気温は木陰でこそ13℃と少し肌寒さがあったが、陽射しの元では20℃近くにも感じられた。その快さの中を登り始める。ギブスの足ではやはり簡単には登れず、そこで登山口に置かれていた竹の杖を借りることにした。始めこそ少しもたついたが、直ぐに慣れてけっこう気楽に登れ出した。普段は全くストックを使わないのだが、足が不自由になって、杖の有り難みが身にしみて分かった。但し通常の半分ほどのスピードだった。その分だけ景色を楽しめると思いながら登って行く。生駒山の登山道は本当になだらかで、心配した足への負担が少なく、一安心だった良かったの思いで歩を進める。この尾根には所々露岩があって、最初の露岩地は「馬の蹄跡」と名付けられていた。その名の通り、平らな岩に小さな凹みが幾つか付いていた。岩肌は足がかりが良く、また適度に足を載せる所もあって、まずは無難に登って行けた。ただギブス用の靴はゴム底のため若干滑り易く、慎重に登って行く。途中で東からの井上登山路が合流し、緩やかなまま山頂に近づいた。岩場では展望が良く、上郡市街や千種川流域の山並みが一望だった。山頂手前にも小さな岩場があり、そこを越して山頂となる本丸跡に着いた。整然と杉木立が取り囲む中にベンチが置かれており、休憩には良い感じの所だった。ただ、そこから見える二の丸跡の南面が開けており、絶好の展望地となっていた。休憩するならそちらが良いと、すぐにその展望地へと向かった。先に二の丸跡に立つ。そこも本丸跡と同様、木立が整然と取り囲んでいた。夏ならば木陰となって涼しい所だが、早春の時期は陽射しが何よりで、その南側、一段低くなった展望地へすぐに移動する。そこにもベンチが置かれており、陽射しがあふれて絶好の日なたぼっこ場所になっていた。そこでようやくザックを下ろした。やはり最高の展望台で、市街地が尾根から見ていたときよりも一段と広く眺められた。少し冷たさのある風も程良い感じで、汗ばんだ身体に快かった。ごく低山だったが、この日は十分に達成感があり、ベンチに腰掛けて風景に目を楽しませていると、山はいいなとしみじみと思えて来た。ここで昼食も済ませていっときを過ごすと、本丸の北にある展望地にも立ち寄ることにした。本丸跡より北へ少し下ると、北に向かって一気に視界が開けた。足元には千種川が蛇行しており、その千種川を両側より山が迫っている。南に広がる市街地の風景といい、この生駒山が要衝の地として山城の建てられたことを納得させる風景だった。こうして春の陽気の生駒山山頂を十分に楽しむと、後は足をかばいながら慎重に往路を戻って行った。
(2006/3記)(2010/12改訂)(2019/4写真改訂) |