高嶺山は上郡駅の南西にあって、駅から2kmと離れていない市街地に近い山である。安室川の河畔からはすんなりとその全姿を仰ぎ見ることが出来る。山上には高嶺神社があり、古より東の広嶺神社に並び称されて多くの参詣者があったとか。今ではその高嶺神社まで西麓の上郡町営の宿「ピュアランド山の里」から車道が通じており、高嶺神社一帯は「上郡森林体験の森」として遊歩道が整備されている。ただこれとは別に高嶺神社への参詣道として北麓の高嶺集落側と平野集落側から登山道が通じている。この高嶺山を2004年12月下旬に訪れた。この年は12月に入っても暖冬と言うのか秋がそのまま続いているような暖かい日が続いていたが、下旬になって漸くく冷え込む日も出てきた。この日も冬らしく風の強い肌寒い日となったが、昼食がてらに軽いハイキングでもと出かけた次第だった。上郡町に着いたときは昼どきになっていたが、北風が強く吹き付けており、朝の冷たさがそのまま続いているような天気だった。空は朝の快晴は終わり、北からは黒雲が流れて来て、上空は半ば曇り空に変わろうとしていた。車は平野集落に近い山裾に止めて歩き始めた。地図では平野集落の奥から破線路が始まっており、それを目指して歩くと、なるほど山中へと向かう小径が見えた。ただ山裾はぐるりと害獣除けネットが張られており、小径の入口にもゲートが付いていた。そのゲートを通って先へと進んだ。山裾一帯は竹林も混じる雑木林が占めており、墓地も見られた。その中を緩やかに登って行くと、さほど時間もかからず小さな社の前に出た。天満宮とあり、ここで高嶺集落側からの道が合流した。そこから先は露岩も現れた尾根道となっており、やや急坂だったが真っ直ぐ続いていた。ただ広々とした尾根道で、好きな所を選んで登って行けたので楽だった。振り返ると上郡の市街地が一望だった。その頃には上空はすっかり曇り空で、町並みは暗い色になっていた。この露岩地の尾根を登り詰めると、高嶺神社の前に出た。低山だけにもう山上に出たようである。神社の前の石段を登るとき、千年杉が迎えてくれたが、なるほど神木と言える立派な杉だった。境内に着くと数人の人が働いており、どうやら正月準備のようだった。この境内に着いていっとき陽射しも現れ、その暖かさのままに境内の隅で手早く昼食を済ませた。高嶺神社からは自動車道を歩いてピークに向かった。この高嶺山のピークは3つあり、中央と北のピークにそれぞれ無線塔が建っており、その間を自動車道が通っていた。そして車道から離れた西南のピークが三角点ピークだった。その三角点を目指そうと中央ピーク側へ歩み出すと、小径が続いていた。少し荒れ気味で草が被っていたりイバラもあったが、大したことも無く西南のピークに着いた。そこは丈の低いササが広がっており、けっこう見晴らしの良い山頂だった。その中央に三等三角点(点名・天王山)を見た。そこに立ってまず目に飛び込んできたのは南に広がるゴルフ場(赤穂国際ゴルフ場)の風景で、西には別荘地の広がる石堂丸山もすっきり見えていた。南方遠くにピークを見せているのは黒鉄山と思えた。その山頂に立ったときに雲間より陽射しが洩れて、ゴルフ場や石堂丸山に陽が当たったが、すぐに陽射しは閉ざされた。北の展望を得ようとそちらに移動すると、なるほど北麓の大池やピュアランド山の里の風景、遠くには八塔寺山も見えていたが、はまともに北風を受けることになったので、たちまち身が凍ってしまい退散した。暫くは南の風景に目をやって時間を過ごした。その後は下山に向かったのだが、高嶺神社へは中央ピークの無線塔そばから始まる遊歩道で下り、天満宮からは高嶺集落側への登山道で下った。こちらの登山道の入口には奉灯と記された灯籠が立っていた。
(2005/1記)(2012/3改訂)(2022/2写真改訂) |